細岡ビジターズラウンジ
北海道釧路町、釧路湿原の東端、釧路湿原の展望台のなかで、人気ナンバーワンの細岡展望台近くにある釧路湿原国立公園ビジターセンターが細岡ビジターズラウンジ。ウッディーな建物のなかでは、パネルなどを使い、湿原の成り立ちをわかり…
北海道釧路町、釧路湿原の東端、釧路湿原の展望台のなかで、人気ナンバーワンの細岡展望台近くにある釧路湿原国立公園ビジターセンターが細岡ビジターズラウンジ。ウッディーな建物のなかでは、パネルなどを使い、湿原の成り立ちをわかり…
北海道増毛町(ましけちょう)にある、江戸時代中期の津軽藩による蝦夷地警備の陣屋跡が津軽藩増毛勤番越冬陣屋跡。文化4年(1807年)、徳川幕府はロシアの南下政策に対抗するため仙台、会津、南部、秋田、庄内の各藩に蝦夷地警備を…
北海道増毛町(ましけちょう)の鎮守社、増毛厳島神社(ましけいつくしまじんじゃ)。宝暦元年(1751年)、松前の商人・村山伝兵衛(能登国出身)が函館奉行所より増毛場所を請負、増毛に出張番屋を設け開始。この時、運上屋の守護神…
北海道帯広市街の南西(帯広中心部から車で50分)、日高山脈・十勝幌尻岳(1845.7m)の裾野に広がる帯広市営の公共育成牧場が八千代公共育成牧場。標高250m~380mの美しい波状丘陵を利用して、広大な牧草地が広がり、5…
北海道河東郡音更町(おとふけちょう)、家畜技術を研究する国の直轄施設(独立行政法人)である牧場が家畜改良センター十勝牧場(面積4100ha)。牧場入口には、1.3kmにもわたる美しい白樺並木のダート道が続き写真撮影に絶好…
北海道釧路市、釧路湿原の西端、北斗(ほくと)地区の高台にある釧路市営の展望台が釧路市湿原展望台。釧路湿原を眺める展望台のなかでは唯一の有料施設となっています。建物は湿原のヤチボウズ(谷地坊主)をモチーフに毛綱毅曠(もづな…
北海道釧路市、釧路湿原西端の釧路市湿原展望台から、さらに湿原側に派生した丘陵を利用して設けられた、一周2.5kmの遊歩道が釧路市湿原展望遊歩道。かなり上り下りがありますが、所要は1時間ほど。遊歩道の大部分は歩きやすい木道…
北海道標茶町(しべちゃちょう)、塘路湖(とうろ)の湖畔に建つ擬洋風の建物は、明治18年に建てられた北海道集治監釧路分監本館。集治監というのは、流徒刑を受けた人々を拘禁する施設。もともとは現在の標茶高校敷地内にありましたが…
北海道釧路町、釧路湿原の東端、細岡展望台の直下にある、JR釧網本線(せんもうほんせん/釧路〜川湯温泉〜知床斜里〜網走)の駅が釧路湿原駅。ログハウスの駅舎は湿原の名物で、観光シーズンには来駅記念のグッズや、観光記念入場券も…
北海道釧路町達古武、広大な釧路湿原の各所にある展望台のなかで、人気ナンバーワンの展望台が細岡展望台。湿原の東端の高台に位置し、「大観望」の別名で呼ばれるほど、眺望がいいのが自慢。湿原のなかを蛇行する釧路川を眼下にし、蛇行…
北海道釧路市、ラムサール条約にも登録される日本一広大な湿原、釧路湿原のなかで、もっとも原始性が高いエリアがコッタロ湿原。国立公園の特別保護地区に指定されています。湿原を横断する道道1060号(クチョロ原野塘路線)沿いの高…
北海道浜中町、霧多布島(きりたっぷとう)の西端、琵琶瀬湾に突き出した岬で、夏場は日没の名所となるのがアゼチ岬。霧多布島のもうひとつの岬、霧多布岬とは対照的に、訪れる人も少ない静かな場所です。馬の背状になった岬突端では、夏…
北海道浜中町、浜中湾と琵琶瀬湾を区切るように、太平洋に突き出した霧多布半島東端に位置する岬が霧多布岬(きりたっぷみさき)。正しくは湯沸岬(とうふつみさき)というが、「ゆわかし岬」と読む人が多いため、現在では霧多布岬と通称…
北海道弟子屈町(てしかがちょう)、川湯温泉から藻琴山の肩を越えて網走を結ぶ道道102号(網走川湯線)沿いにある絶景の展望駐車公園が藻琴山展望駐車公園。屈斜路カルデラの外輪山の尾根上、標高460mに位置する駐車公園で、周囲…
北海道えりも町、襟裳岬(えりもみさき)から百人浜を目指すと、道道横には美しいクロマツ林が広がります。実は、このクロマツは、昭和28年に始まった襟裳岬の緑化事業(百人浜緑化事業)で誕生したもの。その緑化事業を紹介するのがえ…
北海道えりも町の百人浜、悲恋沼の脇にある石塔が一石一字塔。江戸時代半ばの文化3年(1806年)に建立された花崗岩の石塔。襟裳岬周辺は、海難事故が多く、その遭難者の魂を鎮魂するための碑。仏教の経典の文字を浜石に記した写経の…
北海道えりも町も百人浜にある展望塔が百人浜展望台。国有林緑化事業観察塔として建てられたもので、周囲に高台がないため、百人浜や悲恋沼はもちろん、日高山脈まで一望にします。道道34号(襟裳公園線)の悲恋沼駐車場が展望台入口で…
北海道えりも町、襟裳岬(えりも)から庶野(しょや)まで続く15kmの砂浜。百人浜のバス停前にある一石一字塔は、江戸時代に南部藩の御用船が難破し、この浜で息絶えた100人の乗組員の供養塔。これが百人浜の名の由来となっていま…