【マンホールで知る町自慢】No.039 軽井沢町
軽井沢町のマンホールのモチーフになっているのは、噴煙たなびく浅間山です。白樺の白い樹皮と緑の葉がデザインされ、中央に軽井沢のシンボルともなる浅間山が描かれています。
軽井沢町のマンホールのモチーフになっているのは、噴煙たなびく浅間山です。白樺の白い樹皮と緑の葉がデザインされ、中央に軽井沢のシンボルともなる浅間山が描かれています。
毎年10月第3日曜、長野県大鹿村で大鹿歌舞伎『秋の定期公園』が行なわれます。南アルプス山中にあり、「日本で最も美しい村」連合にも加盟する大鹿村に300年以上伝承されている地芝居「大鹿歌舞伎」の定期公演。春と秋の2回の定期…
国宝松本城(松本城公園)をスタート地点に、アルプスの展望ポイントや、温泉地、歴史の名所を訪ね歩く、2日間のウォーキングイベント。2016年から地図だけを手掛かりに「印所」を探し出し、そこに置かれた「印判」を集めながらゴー…
「下里瀬温泉サンテインおたり」を舞台に、信州屈指のきのこの産地である小谷産のきのこが味わえるイベント。「下里瀬温泉サンテインおたり」レストランで、小谷産のきのこを使った料理をブッフェスタイルで味わえるほか、特設会場にて、…
NHK大河ドラマ『真田丸』で盛り上がる上田・小諸地域。上田ほど注目されていませんが、実は小諸も『真田丸』では重要なポイント。第二次上田攻撃の総大将・徳川秀忠は小諸城(現在の懐古園)に本陣を張り、上田城を攻撃しました。小諸…
栂池高原から栂池ゴンドラリフトと栂池ロープウェイを乗り継いで到達する「雲上の楽園」が栂池自然園。北アルプス白馬連峰の標高1900m前後に位置し、日本海型の気候に支配されるため、冬支度も早いのが特長。ではでは、栂池自然園の…
標高1900m、ゴンドラリフトとロープウェイを乗り継いで(栂池パノラマライン)、歩かず到達できる雲上の楽園・栂池自然園の紅葉は、9月末から10月中旬が見頃。亜高山帯に位置する湿原ではナナカマドの燃えるような赤、ダケカンバ…
小諸にある布引山釈尊寺。布引観音と通称されるのは、有名な「牛に引かれて善光寺参り」という逸話のルーツだから。善光寺との結びつきの強い釈尊寺(布引観音)ですが、京都の清水寺同様に懸崖造り(けんがいづくり=崖造り)の観音堂が…
島崎藤村は、明治32年、小諸義塾の教師として信州・小諸に招かれ、小諸で6年間暮らしています。この島崎藤村の小諸暮らしは、小説家になろうという決意をした時代で、「小諸時代」といわれるように一大転機となった重要な時期です。小…
小諸城の本丸の入口を守る最後の砦となる門が、黒門(一ノ門・一ノ御門)。その黒門を移築保存するのが小諸の正眼院(しょうげんいん)です。格調高い薬医門ですが、小諸城には現在礎石が残るのみです。慶長17年(1613年)、初代小…
黒船来航で風雲急を告げる幕末に、信州・佐久に築かれた星形の城郭。有名な函館の五稜郭(ごりょうかく)と並び、日本に2つしかない星形城郭の龍岡城五稜郭ですが、城郭内に現存する遺構は御台所櫓のみ。ところが探してみると、ありまし…
小諸城の城跡公園が有料施設の懐古園。「日本100名城」に選定の小諸城ですが、残念ながら懐古園内には天守を含め往時の遺構は残されていません。懐古園入口の三の門、そして小諸駅近くの市街地に大手門が現存しています。北国街道沿い…
文豪・島崎藤村(しまざきとうそん)は、明治32年、小諸義塾の教師として信州・小諸に招かれ、小諸で6年間暮らしています。結婚、3人の娘の誕生、「物を見る稽古」のために『千曲川のスケッチ』を書き記し始めた頃です。そして『破戒…
小諸城は、日本唯一といえる「穴城」。どうして穴城かといえば、城の玄関口である大手門がもっとも標高の高い場所にあり、本丸がもっとも低地にあるため。本丸を城郭の片隅に配置する梯郭式(ていかくしき)という縄張りですが、このスタ…
「天下分け目」といわれた関ヶ原の合戦には、実は徳川の本隊は戦闘に参加していません。徳川秀忠率いる徳川本隊は、総勢3万8000人という大軍。家康軍が東海道を進軍したのに対し、秀忠の徳川本隊を碓氷峠を越えて中山道を進みます。…
奥秩父連峰の主峰・金峰山(きんぷさん/2599m/日本百名山)と奥秩父の最高峰・北奥仙丈ヶ岳(2601m)との鞍部にあたる標高2360mの峠。長野県と山梨県の県境に位置し、日本最高所の車道峠。目下、マイカー規制がなく、通…
弘治元年(1555年)に武田信玄が開基として岌往上人(きゅうおうしょうにん)が開山した岩村田の名刹が西念寺。12本の円柱が支える楼門の天井には美しい天女が描かれています。岩村田は中山道の宿場町でもありましたが、城下町であ…
信州味噌の発祥地でもある佐久(信州味噌のルーツ! 安養寺へ)。その佐久・岩村田で、黒船来航の嘉永6年(1853年)創業という老舗の味噌蔵が和泉屋商店で、信州味噌のルーツでもある安養寺味噌も復活させています。