永代通り(震災復興道路)
関東大震災(大正12年9月1日)からの帝都復興を目指した震災復興道路の軸のひとつ「幹線第三号」が、永代通り(えいたいどおり)。帝都復興第一橋梁の永代橋を渡ることから、永代橋通りと名付けられています。永代通りと旧東海道の中…
関東大震災(大正12年9月1日)からの帝都復興を目指した震災復興道路の軸のひとつ「幹線第三号」が、永代通り(えいたいどおり)。帝都復興第一橋梁の永代橋を渡ることから、永代橋通りと名付けられています。永代通りと旧東海道の中…
関東大震災(大正12年9月1日)からの帝都復興を目指した震災復興道路の軸のひとつ「幹線第二号」が、靖国通り(第一号は昭和通り)。震災から復興を期に幅員36mに拡幅され、九段坂の急勾配も緩やかに改修されています。当初は大正…
関東大震災(大正12年9月1日)からの帝都復興を目指した震災復興道路の軸のひとつ「幹線第一号」が、昭和通り。大関横丁交差点(台東区)~新橋交差点(港区)の8kmで、幅員44mの道路で、昭和3年に完成。昭和という新しい年号…
全国各県の最高峰で、もっとも標高の低い県は、千葉県。愛宕山(あたごやま/鴨川市)で標高408.2mですが、登山の対象としては、房総のマッターホルンと称される伊予ヶ岳(いよがたけ/南房総市)がおすすめです。房総丘陵では唯一…
長野駅〜須坂駅〜信州中野駅〜湯田中駅を結ぶローカル私鉄の長野電鉄。特急「スノーモンキー」(2100系)は、「成田エクスプレス」で使われたJR東日本253系車両。グリーン個室は、現在、「Spa猿〜ん」として活用され、1室1…
青森県青森市本町3丁目、青森港北防波堤(青森ベイ・プロムナード)の先端に建つのが、アスパム灯台(青森港北防波堤西灯台)。昭和36年に初点灯し、平成16年、日本航路標識協会が八甲田山をイメージしたデザインで設計し、リニュー…
香川県高松市女木町、「鬼の島」としてPRされる女木島(めぎじま)の玄関港、女木港(めぎこう)の防潮堤にあるのが、カモメの駐車場。『瀬戸内国際芸術祭』の参加作品で、「地球と遊ぶ」をテーマに作品を制作する木村崇人(きむらたか…
香川県高松市女木町、「鬼の島」としてPRされる女木島(めぎじま)の玄関港、女木港(めぎこう)の防波堤の突端にある灯台が、おにの灯台(女木港鬼ケ島防波堤灯台)。全国各地にあるデザイン灯台の中でも鬼と金棒(灯台)をかたどった…
香川県観音寺市大野原町、雲辺寺ロープウェイで上った雲辺寺山頂に整備された雲辺寺山頂公園にあるのが、天空のブランコ・フォトフレーム。四国霊場第66番札所・雲辺寺への足となるロープウェイを降りた場所が山頂公園で、三豊平野や瀬…
カーナビに県境案内を設定し、県境をまたぐと県名を伝える仕様にしたなら、慌ただしく県境名を伝えるのが、栃木県道・群馬県道・埼玉県道・茨城県道9号。渡良瀬遊水地の西側を走る県道を北上すると、わずか1.5kmほど距離で、埼玉、…
山口県美祢市、秋吉台の台地状を走り抜けるドライブウェイが、秋吉台道路(カルストロード)。正式名は、山口県道242号(秋吉台公園線)ですが、もともと、昭和45年10月5日開通の有料道路「秋吉台道路」(日本道路公団)だったた…
山口県萩市、市内観光地をくまなく巡り、城下町の移動に最適な交通手段が、萩循環まぁーるバス。どこまで乗っても安い料金の定額制でかつ便利。市内循環コースは、東回りコース「松陰先生」と西回りコース「晋作くん」の2コース(所要1…
山口県美祢市、日本最大級のカルスト台地で、国の特別天然記念物に指定される秋吉台。帰水近くにあるのが、スヌーピー岩。スヌーピー(Snoopy=漫画『ピーナッツ』に登場するオスのビーグル犬)にソックリということからスヌーピー…
東京(竹芝桟橋)〜館山港を期間限定で結ぶ東海汽船のジェット船。2024年2月26日(月)~3月29日(金)の間の日帰り・平日限定で、通常往復1万円ほどのところ、大人3500円、小人2000円の「海のぼうそうきっぷ」を…
山口県萩市平安古町、平安寺近くに建つのが、村田清風別宅跡(むらたせいふうべったくあと)。長屋門だけが残され、村田清風の旧宅として萩市の史跡に指定。村田清風は、萩藩の天保の改革を指導。藩の財政再建、文武奨励など、明治維新に…
山口県萩市平安古町、往時の地割を残した萩市平安古地区伝統的建造物群保存地区に選定される平安古(ひやこ)の鍵曲(かいまがり)すぐ近くにあるのが、坪井九右衛門旧宅(つぼいくえもんきゅうたく)。坪井九右衛門は、尊王攘夷派によっ…
山口県萩市堀内、萩城跡(指月公園)内、13代藩主毛利敬親(たかちか)の別邸にあった茶室「花江茶亭」に隣接して建つのが、梨羽家茶室(なしばけちゃしつ)。毛利家重臣、梨羽家の中津江にあった下屋敷の茶室を移築したもので、「煤払…
山口県萩市堀内、萩城跡(指月公園)内にある茶室が、花江茶亭(はなのえちゃてい)。安政年間(1855年〜1860年)初期、長州藩13代藩主・毛利敬親(もうりたかちか)が萩城三の丸の花江御殿内、橋本川沿いに建てた茶室「自在庵…