中野さんのルーツを探せ!

室町時代に中野長者と呼ばれる強欲な人物がいた。
宝を埋蔵した場所を秘すために自分の郎党を無残にも殺害した祟りから、婚礼の夜に娘が蛇に変わってしまったのだとか。そこで長者は自分の悪行を深く反省し、供養のため成願寺を建てたという物語が残っている。東京都中野区本町にある成願寺の山門を入ると、「東京府史蹟中野長者遺跡」という碑が立っている。
熊野神社の祭祀を務めた鈴木氏の末裔・鈴木九郎が中野長者だ。

中野区は中野長者に由来!?

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↑中野長者遺跡の成願寺

東京都の中野区という区名は、実はその中野長者から生まれたともいわれている。
西新宿にある熊野神社は、この中野長者・鈴木九郎が故郷の熊野から勧請したもの。
中野区から八王子市までやって来れば、武蔵七党の一つ西党に属する地方豪族の中野氏が中野郷(東京都八王子市中野山王町)で活躍している。
やがて所領を広げた中野氏一族の居館は、昭島市中神町の福厳寺あたりだったと思われる。

続いて山形がルーツの中野さん

中野氏のルーツにはいろいろあり、さまざまな人物が歴史に顔を出す。
山形で最上氏(もがみし)といえば知らない人はいないほどの有名な大名だが、その最上氏の重要な分家が中野氏。
最上氏3代目の最上満直(もがみみつなお)の次男・中野満基は、中野氏の本拠である中野城を羽前国東村山郡中野(山形市中野)に築いた。
中野城跡は東面324m、西面360m、南面200m、北面300mの堀と石垣に囲まれた平城。
元和8年(1622年)最上氏が改易されると、中野城は廃城となっている。
現在城跡は大郷小学校になっていて、せっかくのルーツ探しの旅でも城跡は何も残されていない。
ただし町名(大字)は中野だから東北に住む中野さんなら一度は訪れてみたい場所だ。

中野満基の子であった最上満氏をはじめ、中野氏の当主は最上氏の当主も兼ねた者も少なくなく、中野城主は山形城(山形市霞城町)にも居住していた。
最上氏57万石の居城として壮大な規模を誇る山形城は、本丸・二の丸・三の丸と輪郭式に配置された縄張りで、現在は二の丸内が霞城公園となっている。
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↑中野氏の当主も暮らした山形城跡(霞城公園)

群馬県邑楽町にも中野さんのルーツが

上野国(現・群馬県)へ移れば、延元3年(1338年)、新田義貞に最後まで付き従い、越前国藤島で新田義貞とともに討死した忠臣・中野藤内左衛門がいる。
この中野氏はもともと新田一族で、中野藤内左衛門の居城であった中野城(群馬県邑楽郡邑楽町中野3015)は、文永2年(1265年)、新田氏の一族中野景継によって築城。
延元3年(1338年)、中野藤内左衛門が討死したため廃城となっている。
現在の神光寺はかつての中野城跡といい、往時の城の規模は東西110m、南北140mほど。城というより館跡と考えた方がいいだろう。
その中野館だが、わずかに73年で役目を終えている。
永禄年間(1558年〜1570年)小泉城主・富岡市騎配下の宝田和泉守が中野城を改修しその居城としたが、豊臣秀吉の小田原攻めの際に廃城となっている。
神光寺境内に立つ推定樹齢770年の大カヤ(群馬県の天然記念物)は、中野城(中野館)の名残だという。
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東海地区の中野さんなら名古屋市中川区へ!

一方、天文11年(1542)、岡崎城近くの三河国額田郡小豆坂の戦い(あずきざかのたたかい)で活躍した織田信秀軍の勇士で、小豆坂七本槍の一人16歳の中野重吉(中野又兵衛、中野一安)も忘れてはならないひとり。
この清和源氏為義流の中野氏は、源行家の末裔の孫・源為貞が尾張国愛知郡中野村に住み、中野を称したのが始まりとか。
『尾張志』によれば、中野重吉のルーツと推測できる中野五郎能成や中野重次は、尾張国愛知郡中野村の出。
この愛知郡中野村は尾張藩名古屋城下の中野村と推測できるので、現在の愛知県名古屋市中川区元中野町、中野本町界隈だろうか。
元中野町は、農家住宅などに集落の面影が残る昔町だが、中川運河の掘削で運河の西側は工業地帯に変身している。
元中野町2丁目にある中野神明社は、村内に散在していた津島社・八幡社・神明社・白山社が安永6年(1777年)に遷宮されたものという。
まさに中野地区の氏神様。名古屋周辺の中野さんならぜひ参拝したい社だ。
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信州中野も中野さんの貴重なルーツだ

信濃国高井郡中野郷(現・長野県中野市)を発祥とする藤原秀郷流中野氏は、鎌倉初期のの建久3年(1192年)に藤原(中野)助廣が中野西条・志久見郷地頭職になる(『将軍家政所下文』/長野県立歴史館/下の画像)などかなり勢力を持っていた。
やがて高梨氏に追われて没落。その居城は中野小館(なかのおたて)とも、高梨氏館とも呼ばれている。
高梨氏は慶長3年(1598年)、上杉景勝に従って会津へ去り高梨氏館は廃城となっている。
現在の地名は、長野県中野市小舘で、「高梨館跡公園」(中野市小舘4丁目)として公園化されている。
周囲には空濠・土塁が残り、庭内に稲荷社・井戸跡・庭石なども残されているが、中野氏時代ではなく、高梨氏時代のもの。
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↑源頼朝から藤原(中野)助廣を中野西条・志久見郷地頭職を任じる書面(長野県立歴史館蔵)
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↑高梨館跡公園

三重県四日市市にも中野さんのルーツが

さてさて、古代、百済氏族に中野造(なかのみやつこ)と中野連(なかのむらじ)があったという。
伊勢国朝明(あさけ)郡中野には赤堀氏族の中野氏がいた。
現在の地名に直すと、三重県四日市市中野町。三岐鉄道保々駅の西側一帯で、古墳時代後期の鎧塚古墳もあるので、古くから拓けたとであることがわかる。
行園寺の南西には伊勢中野城の城跡も残り、三重県の中野さんなら訪ねる価値があるだろう。
田原藤太(藤原秀郷)の後胤の赤堀藤太郎が中野家と称して、永禄年間(1558年~1570年)に築城。永禄11年(1568)に織田信長が攻略し廃城となった。
江戸時代の大庄屋天春家はその城跡に建っている。
中野地区には戦国時代には武将たちも駆け抜けた八風街道(はっぷうかいどう)も通っているので、歴史ドライブにも最適だ。
八風街道は、現在の四日市と鈴鹿山脈の八風峠を越えて近江国神崎郡八日市(現在の滋賀県東近江市)を結ぶ鈴鹿山越えの道。中山道と東海道と直結するルートで、近江商人の通商路にもなっていた。

中野さんは北海道と九州に多い

筑後国上妻(こうづま)郡中野には蒲池(かまち)氏族の中野氏が、さらに、肥前国には後藤氏族、越前国には朝倉氏族、伊賀国には名張氏族の中野氏がいた。
越前国中野郷(福井県福井市中野町)から興った中野氏は丹波氏族朝倉氏流。

中野姓は北海道と、九州、山口県(大姓15位)に多い。
九州のハヤブサといわれた競輪の中野浩一は福岡県久留米市出身。蒲池(氏族の中野氏だろうか。

「仲野」と書く苗字もかなりあり、淡路国三原郡井加利を発祥とする仲野氏は名族として知られている。
近畿地方では「中埜」姓も見かける。
ミツカンのルーツは、中野又左衛門は尾張国半田(現在の愛知県半田市)だが、4代目から中埜を名乗っている。

中村さんの家紋は、九曜巴、中輪に八曜と巴、抱き柏、三階菱、剣花菱、七宝に花角、剣花角、片喰(かたばみ)、上り藤、鷹の羽など。

 

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