福田さんのルーツを探せ!

福田という苗字は、もともとは開墾の難しい「深田」を良田にしたいという願いから「福」という文字を使った呼び方だ。
お目出度い名前だからか福田さんという総理大臣が二人も出たのかもしれない。
総理大臣の福田赳夫・康夫親子は群馬県高崎市出身だが、関東には平将門(たいらのまさかど)を倒した藤原秀郷(ふじわらのひでさと)の流れを継ぐ福田氏が多い。

福田姓は、栃木県(大姓7位)に多く、栃木県日光市から今市市にかけて集中している。芸能人でいえばU字工事の福田薫は、栃木県那須郡西那須野町(現・那須塩原市)出身。栃木県知事だった福田富一も栃木県今市市(現・日光市)の出身だ。
山陰地方にも多い名前で鳥取で大姓11位、九州北部では長崎で大姓15位となっている。

まずは群馬と埼玉の福田さんのルーツへ

──上野国(群馬県)や下野国(栃木県)には今も福田姓が多い。武蔵国の北端域を中心に、秩父・上野国辺りまで拠点を置いていた武蔵七党最大の藤原秀郷流児玉党の福田氏は、古河公方足利氏に仕え、古河公方(こがくぼう)御料所(直轄地)の代官を務めていたという。後、豊臣家の家臣、福田惟康(ふくだこれやす)が関ヶ原合戦後に武蔵国に土着し、福田陣屋と呼ばれる屋敷(さいたま市西区高木町)を構える。
さいたま市西区高木町にある福田陣屋跡。埼玉栄高校の北東500mに位置し、指扇中学校西側の福田稲荷神社が屋敷跡が陣屋の跡。福田稲荷ふるさとの森となっているが、敷地は福田さんの私有地だとか。近くには福田歯科も。まさに一帯は福田さんの大切なルーツの地だ。
福田陣屋
↑福田稲荷神社

上野国の福田氏は、関東管領山内上杉氏の家臣で「倉賀野十六騎」として倉賀野城(高崎市倉賀野町)を守った。群馬県出身の福田赳夫・福田康夫元首相はこの流れという。また、同じ上野には源頼義流の福田氏もいる。城跡は烏川左岸の河岸段丘上に位置するが、現在では国道17号が東西に貫通している。住宅街の片隅、雁児童公園に城跡の碑が立ち、二の丸跡に井戸八幡(群馬県高崎市倉賀野町1437)が鎮座している。祭神は、品陀和気命(ほんだわけのみこと)。
隣の国の下野国には藤原秀郷流佐野有綱の後裔である久賀重宗の子の宗行が福田伊豆守と称して歴史に顔を出している。

富山県や兵庫県にも福田さんのルーツが

一方、藤原は藤原でも、越中国砺波(となみ)郡福田(現・高岡市福田)を発祥とする福田氏は藤原秀郷ではなく、藤原利仁(ふじわらのとしひと=芥川龍之介の小説『芋粥』にも登場)流。
高岡市和田954にある荊波神社(うばらじんじゃ)は、旧福田郷の総社(十禅師大明神)といい、北陸の福田さんの氏神的な存在になっている。荊波神社は、平安中期編纂の『延喜式』記載の古社だ。鎌倉時代以降は、比叡山妙法院の管轄で、福田郷惣社「十禅師大明神」。越中国の国司として赴任した大伴家持が詠んだ「夜夫奈美(やぶなみ)の里に宿借り春雨 隠(こも)りつつむと妹に告げつや」の歌碑も立っている。

播磨国赤穂郡矢野荘(兵庫県相生市矢野町)を発祥とする赤松氏族の福田氏がいる。相生市矢野町真広丙西山の福田山城は、赤松氏一族の福田三郎景行が建武年間(1334年〜1336年)に築城したと伝承されるが、一帯は姫路相生カントリークラブになっていて立ち入りできない。

九州・長崎には南蛮貿易で栄えた福田さんが

目を九州に転じると、肥前国を発祥とする平姓隈氏族の福田氏がいる。
肥前国福田氏の始まりは、歌人(三十六歌仙の一人)である平兼盛(たいらのかねもり)の子孫が平安時代半ばに九州の肥前国彼杵(そのき)郡福田(長崎市福田本町)を領してその地名を姓としたことによるという。
福田兼次は、洗礼名「ジョーチ」をもつキリシタン。その子の福田忠兼は、南蛮貿易港の福田港を開港、教会を建設する。永禄年間に福田城下には1000人を超えるキリシタンがいたという。天正年間、忠兼は眼下に福田港を見下ろす山上に福田城を築城し、福田氏は広く九州に栄えた。福田城の跡は標高74mの高台に鎮座する祐徳稲荷神社となっている。かつては湊を見下ろす山頂に本丸(30m×20m)があり、湊に面した大手口には堀切らしきものが残されている。
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また、東北地方、陸前国や陸奥国にも福田氏が見られる。青森県三戸郡南部町福田舘30に福田館跡として瑞泉寺が残っている。
東西170m、南北230mという館の跡で、現在でも二重の堀が現存している。天正年間(1573年〜1592年)に福田掃部が南部信直から1000石を拝領。さらに元和4年(1618年)、福田治郎が500石を拝領しているが、三戸の南部氏が盛岡に移った際に、福田しもそれに従って盛岡城下に移っている。
住所がそのまま福田舘という字名なのがいかにも福田さんのルーツといった感じが漂う。

広島県の福田さんのルーツはかなり重要な地

西日本では、中国地方では備後国の福田氏、因幡国の福田氏、北九州で筑前・筑後国の福田氏なども知られている。
備後国の利鎌山城(とかまやまじょう/広島県福山市芦田町福田=亀山八幡神社南側)は、延文元年・正平11年(1356年)、福田盛次によって築かれたと伝えられる。湊川合戦の功により、備後の福田を与えられ、福田氏を名乗ったことに始まるのだ。女ながらに、頭に鉢巻きを締め、手には長刀を持って戦った城主・福田遠江守夫人の逸話を今に伝える。
利鎌山城(本丸で標高206.6m)は登山口の木野山神社から中津川浄水場までは車道があるが、以後は登山となる。
城跡の北麓の福田地(ふくでんじ)には、城主福田氏の菩提寺と伝わる福性院福田寺(広島県福山市芦田町大字福田2689)がある。
寺伝によると貞観元年(859年)、行教(伝燈大法師)が開基という古刹。行教は九州からの帰途、芦田の地に宇佐八幡を勧請、その別当寺として能面山霊光寺を創設、十一面観音を安置したという。その後、寺運は衰退したが、室町時代、福田遠江守盛政が再興、福田寺と改めた。本尊は33年ごとに開扉される秘仏だ。
享保十年(1725)銘の銅鐘(現存しない)に、「中世、福田遠江守盛政、武門の擁護を託し、廃址を披く」と刻まれていたという。まさに広島周辺の福田さんの重要なルーツ。
福田の八幡神社(亀山八幡宮)も福田氏ゆかりの社。利鎌山城主・福田盛雅が祠を亀山に遷したという。

家紋は、五本骨扇や羽団扇。他に、左二つ巴、裏梅。梅鉢、二つ引両、万字、下り藤など。福田赳夫・福田康夫元首相は羽団扇。

 

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