家紋の中には、固有の苗字の人だけが用いる専用家紋というものがあり、その家紋の名称の前に特定の苗字が付けられている。
それらは、徳川氏の徳川葵や浅野氏の浅野鷹の羽、真田氏の真田六連銭、武田氏の武田菱、島津氏の島津十文字、柳生氏の柳生笠、山内氏の山内一文字など有名なものも多いが、その他、田村氏の田村車前草(おおばこ)、太田氏の太田桔梗、さらには普遍的な藤紋の中にも、加藤藤、伊藤藤、内藤藤、柴田藤、黒田藤などがある。
中川さんもまた、中川久留子(なかがわくるす)と中川柏(なかがわかしわ)というふたつの専用家紋を持っていることで知られている。
安土桃山時代の武将・中川清秀(なかがわきよひで/TOPの画像)は信長、秀吉に従った勇将だが、また、幼少から十字架を離さなかった敬虔なキリシタンでもあった。キリシタン大名の中川氏の家紋である「中川久留子紋」は別名「十字架紋」と呼ばれ、久留子の中へ巧妙に十字架が隠されている。
ざっと家紋のことを知ったところで、中川さんのルーツ探しの旅に出かけよう。
中川さんの大切なルーツを茨木市に発見
まずは、ルーツを戦国時代へと遡り、中川清秀から。
多田源氏の後裔と称した中川清秀は、本能寺の変後の山崎合戦で秀吉軍の先鋒隊として明智光秀軍を大破するなど大活躍。
翌年の賤ケ岳の合戦で秀吉方先鋒二番手として参戦し、大岩山砦で柴田勝家軍の勇将・佐久間盛政の猛攻に遭って討死。秀吉は賤ケ岳で散った清秀の武功に免じて、中川氏の久留子紋を暗黙のうちに許すのであった。
人気漫画の『へうげもの』 では、主人公・古田織部の義兄として登場。妹は古田重然(織部)に嫁いでいるのだ。
──摂津国川辺郡多田荘(ただのしょう=兵庫県川西市・猪名川町一帯)を発祥とする清和源氏頼光流多田重国子の中川清深が中川氏の始まりで、中川清秀はその裔という。
中川清秀は天文11年(1542年)、摂津国福井村中河原(現・大阪府茨木市中河原町)に生まれる。織田信長の時に摂津国茨木城(大阪府茨木市片桐町)12万石の城主となり、のち、嫡子・中川秀政は播磨国三木城(兵庫県三木市上の丸町)を、次男・中川秀成(ひでしげ)は豊後岡藩初代藩主となる。秀成のあとは久盛が継いで、明治維新まで代々豊後岡城(竹田市竹田)を居城としていた。 中川清秀の墓は、大岩山砦跡(滋賀県長浜市)と、梅林寺(大阪府茨木市片桐町1-3)にある。
中川さんのルーツを兵庫県川西市・猪名川町に辿ることは困難なので、なずは中川清秀の墓のある大阪府茨木市へ。中川清秀の墓のある梅林寺は、慶安3年(1650年)の茨木川の水害で、現寺地に移っていて往時の場所とは異なるが、本堂裏の墓地には中川清秀と弟・淵之助の墓がある。賤ヶ岳から遺髪のみ持ち帰って埋葬したもの。生まれ故郷の福井村中河原(茨木市中河原町)は北西に3kmほどの所だから、一帯が中川さんの大切なルーツの一人、中川清秀の故郷と考えていいだろう。
『荒城の月』の岡城(大分県竹田市)もルーツのひとつ
瀧廉太郎の『荒城の月』の舞台としても知られる豊後岡城跡(竹田市竹田)は、文禄3年(1594年)播磨国三木から中川秀成が移封されて、3年を掛けて大改築した城。大野川の支流である稲葉川と白滝川が合流する地点に位置し、川岸から切り立った断崖絶壁の台地上の岡城址はまさに天然の要害。
明治維新後、廃城令によって廃城とされ、明治4年から翌年にかけて城内の建造物は全て破却、現在残るのは石垣だけになっている。
桜も紅葉も美しく、巨大な石垣が連なる威容は圧巻だ。ここでお月見でもすれば、まさに『荒城の月』といった感じだ。
豊後岡藩の藩主となった中川家は、外様7万石ながら初代の中川秀成から13代の中川久成まで、幕末まで続き領地を守っている。最後の藩主である中川久成は、司法省に出仕後、貴族院議員を務めている。
岡城跡内の藩祖廟所(荘嶽社)を移築した中川神社(大分県竹田市拝田原159)の祭神は、初代藩主・中川秀成であり、父・清秀と兄・秀政をともに奉祀しているから中川さんの貴重なパワースポットに違いない。
また、ちかくにある扇森稲荷神社(おうぎもりいなりじんじゃ=竹田市拝田原桜瀬811)も元和元年(1616年)、岡藩第12代藩主・中川久盛が創建。「狐頭(こうとう)様」と通称され、九州三大稲荷のひとつに数えられるので、あわせて参拝したい。
参勤交代で江戸屋敷に暮らす中川久昭の夢中に稲荷狐頭源大夫と名乗る神霊が現れ、「翌日の江戸城登城は危険なので気をつけるように」との予言を託した。実際に暴漢に遭ったが大事に至らなかったことで、故郷の霊地に稲荷社を創建したのだという。まさに中川さんを助けた稲荷狐頭源大夫なのだ。
美濃国(岐阜県)に見つけた中川さんのルーツ
──美濃国安八(あんぱち)郡中川(現・大垣市中川町)からは、いくつかの中川氏が発祥している。
古くは藤原南家武智麻呂の後裔清兼(きよかね)を祖とする中川氏で、子孫は三河に移り徳川の旗本となる。また、清和源氏小笠原氏族の中川氏は同地の地頭になり、清和源氏斯波氏から分かれた中川氏も同地から生まれている。
大垣市中川町は、岐大バイパスに中川町交差点という名を残し、中川小学校や大垣中川郵便局もあるが、中川さんのパワースポット的なものは残されていない。
また、岐阜県中津川市に中川神社(岐阜県中津川市北野町816-1)があるが、中川神社の「中川」は古くは「なかつかわ」と呼ばれていた時期もあり、これが「中津川」という地名の由来となったとか。木曽川の支流の中津川を、古くは中川と呼んでいたというからまさに中津川市の産土神。恵那山が天照大神の胞衣を収めた地(恵那神社)とされていることからも、古代から一帯が聖なる地だったことは間違いないだろう。
他に、伊勢の名族で内宮の神官であった荒木田姓中川氏や、大和国広瀬郡の藤原姓中川党の中川氏、尾張国大野の桓武平氏佐治氏族の中川氏、清和源氏頼範(よりのり)氏流の小浜藩藩医の中川氏などがいる。
──かつては、神奈川県足柄上郡山北町中川には、豪族の河村氏によって築城されたという中川城がある。一方、中川藩江戸屋敷の東渓院のものを移築した北鎌倉の光照寺(鎌倉市山ノ内)の山門には中川久留子紋がいまも残されている。
中川姓は北陸(石川県で大姓7位、富山県で9位)と関西(滋賀県6位、三重県12位)に多い。また、徳島では大姓10位、北海道では19位となっている。奈良や佐渡島には仲川姓も多く見られる。
代表家紋は中川久留子(車)と中川柏。東京青山にある中川家の墓石には中川久瑠子が刻まれている。柏は神に供える神饌に由来し、中川姓は抱き柏の形となっている。他に、片喰(かたばみ)、轡(くつわ)、六つ木瓜(もっこう)、二つ引両、目結、七曜、五七桐、鎧蝶、牡丹の折枝、丸に鳩など。
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