山本さんのルーツを探せ!

山本姓は、山の多い日本の地形から全国的に多い姓だが、日本で一番多い苗字は佐藤で、2番目が鈴木というと、関西の人は、ホンマかいなと思う人も多いだろう。
関西で一二を争うのは山本姓と田中姓なのである。
滋賀、京都、大阪、兵庫で田中姓と山本姓は1位と2位になっているのだ。
そのほか、山本姓は富山、石川、奈良、和歌山、岡山、広島、山口、高知の各県で1位なのだが、東京を始め、関東各県ではどこもベストテンに入っていない
なぜ関西に多いのかは山本さんのルーツに大いに関係している。


 

まずは山本勘助生誕の豊橋へ

山本勘助

歴史上の人物で山本といえば真っ先に浮かぶのが『風林火山』の主人公、山本勘助。
平成19年のNHK大河ドラマ『風林火山』では、内野聖陽が山本勘助を演じて話題となった。
永禄4年(1561年)川中島で戦死した武田信玄の軍師・山本勘助は行年69歳。
身体には86を数える創傷があったという。

山本勘助の墓は、愛知県豊川市賀茂町の本願寺にある。
というので出かけてみると、「天徳院武山道鬼大居士」と戒名が彫られた勘助の墓と両親の墓が並んでいた。
本願寺の説明によると、「山本勘助の先祖は清和天皇の後裔、新羅三郎義光の3世・山本遠江守義貞(定)から出た」とのこと。

もしそれが真実なら、山本勘助の出自は数多い山本姓のなかでも最も有名なルーツのひとつということになる。
ちなみに山本勘助の生誕の地は、『甲陽軍鑑』(戦国時代に書かれた武田家の軍学書)などには三河国宝飯郡牛窪(愛知県豊川市牛久保町)と記されている。
地元の豊川市では、謙虚にも逆に豊川ではなく八名郡賀茂村(愛知県豊橋市賀茂町)に生まれ、15歳で牛窪(豊川市牛久保町)の牧野家家臣大林勘左衛門貞次の養子になったとしている。
しかしながら『甲斐国志』(江戸時代後期に記された甲斐国の地誌)には、勘助は駿河国富士郡山本(静岡県富士宮市山本)の生まれとあり、内野聖陽主演の大河ドラマ『風林火山』もこの説を採用している。

賀茂本願寺
豊橋市賀茂町にある本願寺。近くには「山本勘助生誕の地」碑もある

山本さんのルーツは琵琶湖の湖北

山本姓の発祥は、この遠江守義貞(定)が近江国浅井郡山本(現在の東浅井郡湖北町山本)を本拠にしたとき、初めて山本姓を名乗ったことに始まるのだ。
息子は山本義経だが、源義経とも称したから、源頼朝の弟として有名な河内源氏の源義経と同姓同名であったため「義経二人説」で知られる(永井路子の『二人の義経』など)。

山本山(325m)は、琵琶湖の東岸に沿って賤ヶ岳から南へ続く山系の南端に位置するちょうどお椀を伏せたような形の山。山本山の山頂の山本山城は湖北には珍しく、平安末期築城の古い歴史を有している。

源義家の弟、新羅三郎義光の流れを汲む清和源氏の一族がここを本拠地とし、水軍をもって琵琶湖をおさえたのだという。
山本城を築いて山本姓を称し、15代続いたという。近江国浅井郡山本発祥の清和源氏義光流山本氏一族は、山本勘助を一例として、その後、三河・遠江・信濃・甲斐に移って各地で活躍する。徳川の旗本である山本家の多くはこの係累という。

山麓には山本交差点もあり、まさ山本山一帯は山本姓のルーツになっている。

津里の宇賀神社から遊歩道が整備され、山頂まで徒歩で30分ほど。山上には、本丸、二の丸、三の丸、馬の蹴り跡などが残り、参上から眺める琵琶湖と竹生島はまさに絶景だ。

山麓から眺めた山本氏の本拠地、山本山
山麓から眺めた山本氏の本拠地、山本山

山本氏は山人(ヤマビト)で山の神の宣詞を伝える役目を持ち、山本の苗字は、村落の指導者として神を祀る家が名乗って広まったという。

北陸の山本さんは鯖江へ

一方、越前今立郡(いまたちのこおり)山元庄を発祥とする藤原利仁流の山本氏は北陸地帯に多い。

山元庄は、現在の福井県鯖江市内の福井鉄道水落駅周辺。今立郡山元庄は、建武新政下に後醍醐天皇が鎌倉・円覚寺に山元庄を安堵したという歴史ある地名だ。
北陸の山本さん(山元さん)なら一度は山元庄に出向いてみたいが、実際には山元庄を伝えるものは残されていない。
親鸞(しんらん)が越後へ配流の途中、山元庄で布教したといい、その子・善鸞が住したと伝える山元山證誠寺も今は鯖江市横越町に移転している。
山元山證誠寺の跡地は嶺北忠霊場(旧鯖江陸軍墓地)になっているから、墓地一帯は南に山があるまさに山の元。ルーツとなる地名のイメージはつかめるかも知れない。

千葉の山本さんなら館山市へ

千葉県の山本さんなら安房国安房郡山本村(館山市山本)発祥の清和源氏新田氏族の可能性が高い。
館野小学校と竜渕寺との間に中世の山城、山本城があった。城主としては里見氏の家老で『里見分限帳』にも見える山本清七が想像されるが、正確にはわかっていない。
また、すぐ西側には安房国国分寺跡があり、実は一帯が千葉県で最も早くから拓けた地であることがわかっている。

その他、桓武平氏国香流岩城氏族、桓武平氏長野氏族、同大掾氏系石川氏族、清和源氏山県氏族・里見氏族、九州・菊池氏族、朝倉氏系日下部氏族などがある。

さらに伝統の格式を誇る大社に山本氏族の神職が見られ、公家の中にも山本姓を名乗るものがいるほど、山本姓の発祥は様々。
山城国宇治山本村(京都府宇治市宇治山本)の出身で、元禄3年(1690年)に山本嘉兵衛が創業したお茶の「山本山」や、嘉永2年(1849)に山本徳治郎が創業した「山本海苔」のような明快なルーツを示せるものは少ない。

山本姓の家紋は、代表紋とも思える三つ巴を始め、対(むか)い鳩、鳥居に向い鳩、山本鳥居、石畳、烏など神社と関係の深いものが多い。 他に、山文字、杏葉牡丹、丸に立梶の葉、丸に一つ石、州浜、柏、九曜、銀杏など。

協力/札場靖人(家紋と姓名研究家)

 

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