伊藤さん&伊東さんのルーツを探せ!

伊藤さんならぜひとも知っておきたい歴史的な人名が平景清(藤原景清)。
「悪七兵衛(あくしちびようえ)」の異名を持つほど勇猛で、源平時代最強の武士であったとされている。
景清は、屋島の合戦で源氏方の美尾谷十郎と戦い、熊手でその冑の錣(しころ)を断ったという有名なエピソードを持つのだが、そのほか、全国各地に様々な逸話と伝説の地を残している。

伊藤さんなら知っておきたい平景清

そのひとつが山口県美祢市にある景清洞で、壇の浦で敗れた景清が潜んでいたという伝説が残されている。
壇の浦で平家滅亡後に京に戻った景清は、やがては頼朝を討たんものと清水寺に身を隠していたという話もある。
その間、爪で自然石に観世音菩薩を掘り、今も清水寺には爪型観音が残されている。

また、九州に逃れたという伝説も生まれ、平景清は宮崎の生目神社(いきめじんじゃ)の祭神となっている。
全国のそこかしこに景清屋敷やら景清眼洗いの井戸なども残されているし、なかには広島の安芸津には「景清埋蔵金伝説」すらあるので驚かされる。

伊藤さんは、伊勢の藤原さん!

さてこの平景清だが、平家に仕えて戦い、都落ちに従ったため俗に平姓で呼ばれているが、本名を伊藤景清といい、れっきとした名門藤原氏の子孫である。
伊藤姓は伊勢(いせ=現在の三重県北中部)の藤原氏という意味で、その祖は佐藤氏と同じ藤原北家・藤原秀郷(ふじわらのひでさと)。秀郷七代の子孫である尾藤基影(びとうもとかげ)が伊勢守となって、伊勢に来て伊藤氏を称したのが伊藤姓の始まりという。
「伊勢の伊藤は天下の伊藤、伊勢神宮のお膝元」という歌があるほどである。

では、平景清はどこの出身なのだろうか?
まずは平景清屋敷跡と伝わる桑名市の遺跡へ。圃場整理事業以前は条里遺構の見られる場所だったという。ここから鎌倉~室町時代の山茶碗、大窯製品が出土する。景清の曽祖父・伊藤基信の館跡とも推測されるが、いずれにしろ三重県での伊藤姓のルーツのひとつ。ただし水田横に「景清遺跡」の石碑が残るのみだ。

同じ伊勢(三重県)では、亀山市の「野元坂館」も平景清屋敷跡ではないかと推測されている。
昭和44年、東名阪国道建設の際の発掘調査では、土塁・周涅(周囲の黒土)・溝址土拡・柱穴郡が確認され、土師器・須恵器・陶器などが出土している。

大府市は愛知の伊藤さんのルーツ

その後伊藤氏は伊勢平氏に従い、保元の乱や平治の乱では伊藤影綱(かげつな)が活躍し、その子忠清(ただきよ)や忠清の子の前述の景清が源平合戦で活躍。
子孫は伊勢から尾張、三河、美濃を経て各地に広がって行く。

伊藤姓の多い愛知県には、旧国名で言えば三河の大府市吉田町に景清神社がある。ここも景清屋敷の伝承があり、鳥居横に「景清公之旧跡」の石碑が立つ。
景清神社のすぐ東にある大府市吉田町半月の常福寺は、壇ノ浦の合戦で源氏に敗れた景清が難を逃れ居住したという伝承がある。
半月という地名も景清が半月で一門の供養のための仏像を彫ったことに由来するとも。
というわけで大府市は愛知の伊藤姓のルーツとも考えられる。

また名古屋市熱田区にも景清社がある。景清は、熱田宮司との縁があり、ここに滞在したという伝承がある。周辺には伊藤畳店など伊藤姓も多い。
ちなみに源氏の総大将・源頼朝は義朝と熱田宮司の娘との子であり、熱田で育っている。
眼病を患った景清は日向国(現在の宮崎県)で没している。宮崎市生目の生目神社の祭神は景清で、景清の目を祀っているという伝承もある。

伊東さんは伊豆・伊東市にルーツがある

一方、伊豆国(現在の静岡県)の伊東氏は、藤原南家為憲(ためのり)を始祖とする工藤氏一族(曾我兄弟の曾我氏も工藤氏)の狩野氏が、伊東に入り伊東姓を名乗ったという。
伊東氏は、伊東荘・河津荘・宇佐美荘を支配する伊豆東海岸の豪族となり、建武中興時には北朝方として功があったため日向国に所領を与えられ、一族はそちらへ移って行く。そして飫肥城の城主となって明治維新を迎える。

一刀流の創始者である伊藤一刀斎景久も伊豆国伊東出身だから、この一族だろう。伊東市には伊東家の守護神である葛見神社(くすみじんじゃ=久豆弥神社)がある。
葛見庄初代地頭・工藤祐高(伊東家次=伊東氏の祖)が京・伏見稲荷の分霊を勧請して創建。拝殿内には、庵木瓜の紋が。境内の南200mに祐高(伊東家次)の墓もある。
伊東氏は代々稲荷神を信仰したといい、各地へ分散した伊東氏のなかには居地に稲荷神を勧請する人が多かったという。

伊東氏のルーツ、葛見神社
伊東氏のルーツ、葛見神社

伊藤さんの家紋には伊藤藤もある

日本の大姓6位の伊藤姓は、伊勢から出たので今でも三重県では一番の大姓となっている。
その他、岐阜(2位)と愛知(3位)にも多く、秋田、千葉、長野、島根、山口もかなり多い。
一方伊東姓は、東京、神奈川、長野、大分でよく見かけられる。

家紋は、同じ藤原氏の出とはいえ系統が違うので、伊藤姓は上り藤(伊藤藤)や下り藤、釘抜、左巴、片喰(かたばみ)。
伊東氏は庵木瓜(いおりもっこう)が代表紋となっている。
伊東氏の庵木瓜は、始祖の為憲が木工助(もくのすけ=造営などを担当する木工寮次官)だったことから意匠化したもの。
家を表わす庵は木工という職種を、中の木瓜もまた木工に引っかけている。
他に伊藤姓、伊東姓ともに、木瓜、蔦、茗荷、九曜など。

協力/札場靖人(家紋と姓名研究家)

 

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