田中さんのルーツを探せ!

日本の名字ランキング4位の田中姓は西日本に多く、福井、滋賀、京都、大阪、兵庫、鳥取、岡山、広島、福岡、熊本の10府県で大姓第1位となっている。
その分布を見ると、東海地方から関東地方に多い鈴木姓とはまさに対照的だ。


 

田中さんのルーツは滋賀県高島市!

滋賀県高島市安曇川田中郷の産土神である田中神社は、五穀豊穣の守護神であり、俗に田植神または五月神と尊称され、古代より信仰を集めていた。
大きい鳥居が目立ち、社域も広く雄壮な雰囲気の田中神社は、孝元天皇(紀元前206年)のとき、田中神が晴天の祈願をしたというとんでもなく古い由緒を持ち、田中神社古墳群なども発見されている。

ここを発祥の地とする田中氏は橘氏の子孫で、戦国時代の武将田中吉政がつとに有名。最初は秀吉に仕えた田中吉政だが、関ヶ原で石田三成を捕虜とし筑後国柳川を与えられ、その一族は旗本や藩士として続いていく。とにかく、田中姓の中で唯一大名に列した家系であることは事実だ。

田中神社の裏山一帯の泰山寺野台地(たいざんじのだいち)先端部には田中王塚(たなかおおつか)を中心に全部で44基の古墳からなる田中古墳群があり、まさに田中姓のルーツといえる。田中王塚古墳の被葬者は継体天皇(けいたいてんのう)の父である「彦主人王」(ひこぬしおう)と推測されている。

田中さんならまずは田中神社に参拝しよう
田中さんならまずは田中神社に参拝しよう

【田中吉政】

近江国・高島郡田中村(現在の滋賀県高島市安曇川町田中)出身の戦国武将。
宮部家中から、5000石を与えられ、秀吉の甥の羽柴秀次(のちの豊臣秀次)の宿老となる。
秀次が近江八幡43万石の城主となると、近江八幡の町割りを行なっている知将。徳川家康の関東入国にともない、尾張には豊臣秀次が入国し、田中吉政は三河国岡崎城5万7400石の城主となる。
岡崎城を近世城郭に整備し、町割りを行なったのも吉政だ。岡崎の27曲がりと呼ばれる曲折した東海道も吉政の町割りによるもの。関ヶ原の合戦では東軍に与し、三成捕縛の勲功もあって筑後一国柳川城32万石の国持ち大名へと出世する。
慶長14年に京都伏見で没。墓所は東京駒込の吉祥寺(曹洞宗)など。
関ヶ原の合戦時には左三つ巴を家紋として用いている。

【田中孫作】

近江(滋賀県)でもうひとり有名な田中さんが、田中孫作。
こちらは戦国時代、掛川城主、そして高知城主になった山内一豊・千代夫人(『功名が辻』で有名)の忠臣。
石田三成が家康追討の兵をあげた際、人質となっても自分のことは気にせず家康に尽くしてくださいという千代夫人(見性院)の密書を下野国(栃木県)宇都宮の一豊の陣に届けたのがこの田中孫作である。
関ヶ原の戦いの際には、主君・一豊の命で西軍の小早川秀秋の陣を訪れ、東軍につくように説得した。説得の甲斐あって東軍は勝利する。
山内家が大々名に出世するのに貢献した田中孫作の出身地は、高溝村(米原市高溝)。田中孫作屋敷跡の碑が残されている。

米原市にある田中孫作屋敷跡
米原市にある田中孫作屋敷跡

京都、群馬、茨城などにルーツが

ところが、田中姓の発祥地は京都市左京区田中の田中神社であるという説もある。
田中とは、左京区の西部、高野川下流の川東一帯の名で、田中神社(創建は定かでないが平安時代の『日本三代実録』にその名がある)はその産土神として、村民の信仰をあつめてきた神社である。
ここが全国の田中さんの発祥地であると、現地ではいっているようなのだ。
他にも田中神社は各地にかなりあり、どうやら、地名からも神社からも、ここが田中姓の絶対的な発祥地であると、断定できそうもない。

古代には蘇我氏の一族や、凡河内(おおしこうち)氏の一族、百済系の田中氏もあったわけだし、武家の田中氏も各地の地名に由来するだけ多流で、磐城、甲斐、下野、伊豆、美濃、近江、筑後、豊後、肥前など各地で誕生し活躍している。ますます田中姓誕生の地の特定は難しい。

ただ、田中姓が各地に広く分布した家系だけは少々わかる。
例えば、上野国新田郡田中(現在の群馬県太田市新田上田中町・下田中町)の新田一族里見氏の流れや、常陸国八条院系の田中庄の領主田中氏の流れがそれである。
群馬県太田市新田上田中町にある長慶寺は田中館跡と伝えられる。田中氏は里見義俊の五男・里見義清が田中姓を名乗ったのが始まりだ。
里見氏流田中氏は、足利氏との合戦で越後、北九州、四国などに転戦、新田氏滅亡後は各地に散らばったといい、茶人の千利休(田中与四郎)も新田一族里見氏の流れ。

一方、常陸国田中庄(現在の茨城県つくば市田中)の領主田中氏の流れは、やがて、江戸期には鋳物師として日本各地へと移住していく。常陸国田中庄だった時代には、一帯には荘園が広がっていただろう。
日枝神社(つくば市田中1850)は、田中庄33郷の総鎮守。もともとの田中庄は現在のつくば市の大半とつくばみらい市の大半。さらに筑西市の旧明野町、桜川市の旧真壁町にまたがる広大な地域だ。

田中さんの家紋は、それぞれ出自が違うため多彩。
代表紋は新田氏の家紋として知られ片喰(かたばみ)。
他に、木瓜(もっこう)、石畳、牡丹、左三つ巴、四つ目、蔦、杏葉(ぎょうよう)、輪鼓(りゅうご)、二引両、五三桐、鳳凰など。
前述の田中吉政は、一つ目結(めゆい)の家紋を用いたことから、先祖は佐々木氏と血縁関係があったと思われる。
また、 田中角栄家の家紋は剣片喰だとか。

協力/札場靖人(家紋と姓名研究家)

 

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