中村さんのルーツを探せ!

弥生時代に稲作が日本に伝来。
その後、稲作が発展して、田んぼが増えれば各地に村が増え、その中心となる集落が中村。
そして、新しく出来た村の方角によって、東村、西村、市村、北村、上村、下村といった地名ができあがり、それに連れて姓も起こった。
実は、全国に中村という居住地名は700ヶ所近く、歴史的な地名も200カ所を超え、そのほとんどの中村から中村さんは発祥している。
こりゃとっても、中村さんのルーツなんて探せそうもないなあ! といった感じなのである。

全国的に分布する中村姓

全国で約100万といわれる中村姓は、日本の大姓第8位の苗字だ。
中村姓の分布は全国的だが、東日本と比較して西日本がわずかに多く、鹿児島で大姓1位、石川、三重、福岡、熊本で2位となっている。

全国の中村というすべての地名から中村姓の発祥を検証するわけにもいかないが、古くは天児屋根命(あめのこやねのみこと=天照大神の岩戸隠れの際に岩戸の前で祝詞を唱えた神様)の後裔・中臣氏族(なかとみうじぞく)に属する中村連(なかむらむらじ/連=ヤマト王権で使われていた姓・かばねの一つで、職業名を負うことが多い)があり、新しくは尾張国中村(現在の愛知県名古屋市中村区)の中村氏などのなかからその発祥を探ってみよう。

大阪に中村さんのルーツが

まずは、古名族である中臣氏族の中村連は、大和国忍海郡(おしみぐん)中村郷(奈良県葛城市忍海)を発祥とする中村氏。
この中村連に関連した神社が、延喜式にも登場する河内国若江郡(大阪府東大阪市菱江)の中村神社(現・仲村神社)である。
平安時代に編纂された『延喜式神名帳』には中村神社と記されている。
中村連氏族によって氏神として奉斎せられたことに始まるという仲村神社の歴史は1000年を越え、平安時代に編纂された『新撰姓氏録』にも、ここが中村連の先祖であるとしっかり記されている(「左京神別(天神)中村連 己々都生須比命子天児屋根命之後也」)。
古代には中村連氏が住んだ地と推測され、仲村神社は中村連の祖神を祀り「疱瘡の神」として信仰されている。

秩父市には中村さんの墓が

また、同じ古代氏族では、上毛野(かみつけぬ)氏族の中村公(きみ)が陸奥国新田郡(にいたぐん=室町時代に栗原郡に編入、現在の栗原市)仲村郷から起こっている。
他に中村姓は、清和源氏、村上源氏、宇多源氏、桓武平氏、藤原氏、橘姓、丹党、小野姓横山党、紀姓、諏訪神家族、荒木田姓、伊伎姓などを始め多岐にわたる。

このうち、丹党中村氏の発祥地である秩父市中村町に出掛けてみよう。
源頼朝が源氏再興の旗揚げをした時、頼朝勢力の根幹となったのが武蔵七党といわれる関東地方の武士団であった。
秩父一帯に繁栄を極めた丹(たん)党の貫主である中村氏の館跡とされる場所は幾つかあるが、中村氏の墓石は今も連綿と守られている。
秩父市中村町の天満天神宮の南側には丹党中村氏の墓(秩父市中村町2422番地先1)も残され、秩父市の史跡となっている。
丹党中村一族は熱烈に熊野三山を信仰したのだという。そのせいもあるのか、たしかに秩父には熊野信仰が根付いている。

ではこのあたりで、中村という地名のうちから二、三つ有名どころを見てみよう。
現在は四万十市(しまんとし)になってしまったが、土佐の小京都と呼ばれる高知県の旧中村市の中心部には四万十川が流れ、土佐くろしお鉄道の中村駅西北の四万十川近くに、土佐中村城跡(別名・為松城)がある。土佐中村城跡は、公園となり、二の丸跡に犬山城を模した「四万十市立郷土資料館」が建っている。前の関白一条教房の居館であった中村御所跡は、いま中村一條神社となっている。

『相馬野馬追』と中村さんの関係は?

次に東北に目を転じれば、福島県相馬市中村に有名な『相馬野馬追』の出陣式が行なわれる相馬中村神社がある。
このあたりは、かつての中村城跡で、中村城の城内に建てられた妙見社が現在の相馬中村神社だ。
相馬氏と伊達氏の勢力争いにたびたび巻き込まれた相馬中村氏のルーツは中村城一帯(相馬中村神社、相馬神社の建つあたり)なのである。
中村さんなら勇壮な『相馬野馬追』のときに、ぜひ訪れてみたい地である(トップの写真は相馬中村神社から出陣の様子)。

相馬中村神社
相馬中村神社

中村勘三郎は名古屋市中村区がルーツ!

豊臣秀吉の生まれ故郷でもある名古屋市の中心、中村も古代からの地名だし、金沢市中村町の中村神社、真岡市の中村八幡宮と中村城跡など観光がてらに出掛けてみたい場所も多い。
中村勘三郎は、故郷が現在の名古屋市中村区と自ら語っていたように、尾張国中村を中村姓の発祥の地という人もいる。

平成22年に大阪城西の丸庭園にて行なわれた『大阪平成中村座』公演の記者会見の席上で、18代目中村勘三郎は、
「大阪城の天守閣が見えるような場所でお芝居をやらせてもらえる、本当にありがたいと思っています。太閤様と初代中村勘三郎は、出身が同じ尾張・中村ですし、以前ドラマで秀吉様を勤めさせて頂いたこともあり、私も父(17代目勘三郎)も太閤様が大好きでした」
と語っている。
中村さんのルーツの一つである尾張国中村は、現在の中村公園一帯。豊臣秀吉生誕の常泉寺、加藤清正の生誕地でもある妙行寺、秀吉を祭神とする豊国神社などがあり、中村公園には「日吉丸となかまたち」の像が配されている(日吉丸は秀吉の幼名)。

中村公園にある「日吉丸となかまたち」の像
中村公園にある「日吉丸となかまたち」の像

家紋は、花菱、立ち沢瀉(おもだか)、丸に橘、釘抜、輪鼓(りゅうご)、菊、梅鉢、二重亀甲、抱き稲、琴柱、桐、源氏車、中村銀杏、中村鷹の羽など。

協力/札場靖人(家紋と姓名研究家)

 

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