安徳天皇陵墓参考地(越知町)

安徳天皇陵墓参考地(越知町)

高知県越知町の横倉山にある安徳天皇が眠ると伝えられる安徳天皇陵墓参考地の鞠ケ奈呂陵墓。文治元年(1187年)、壇ノ浦の合戦で敗れた平家残党が安徳天皇を擁して文治3年(1190年)、土佐国・横倉山に落ちのびて行在所を築いたと伝わる平家落人伝説の地。正治2年(1200年)に安徳天皇が崩御して陵墓が築かれたという。

安徳天皇は壇ノ浦から四国山中に逃れた!?

様式は歴代皇陵墓と同一型で、高知県下唯一の宮内庁所管地となっています。
明治16年に御陵伝説地に指定、昭和元年に安徳天皇陵墓参考地に指定されています。
周辺には、平知盛(たいらのとももり=母は継室・平時子)の一族が安徳天皇を奉じて潜伏した際に暮らしたと伝わる行在所跡、飲用に使ったという安徳水も残されています。

安徳天皇は、数え年3歳(満1歳4ヶ月)で即位し(実際には外祖父の平清盛が実権を掌握)、平家軍と行動をともにし、壇ノ浦合戦で母方祖母・二位尼(平時子)あるいは按察使局伊勢に抱かれて海に身を投げています。
8歳(満6歳4ヶ月)という若さで没した悲劇の天皇と、『平家物語』、『吾妻鏡』などの史書には記されています。
そのため壇ノ浦のある下関市の阿彌陀寺陵が宮内庁指定の安徳天皇陵。
そして同じ下関市の西市御陵墓が参考地(宮内庁管理)になっています。

しかし、安徳天皇は、密かに脱して平家落人とともに行動をともにしたという伝承が各地に残され、高知県越知町のほか、「岡益の石堂」(鳥取県鳥取市国府町)、花園陵墓(熊本県宇土市)、長崎県対馬の安徳天皇墓も宮内庁管理の安徳天皇陵墓参考地。

宮内庁の管理地になっていない伝承地は数多く、四国でも徳島県三好市東祖谷の栗枝渡八幡神社は、「安徳天皇御火葬場」という伝承があり、御神体が安徳天皇の遺骨と伝わっています。

安徳天皇陵墓参考地(越知町)
名称 安徳天皇陵墓参考地(越知町)/あんとくてんのうりょうぼさんこうち(おちちょう)
所在地 高知県高岡郡越知町越知
関連HP 越知町観光協会公式ホームページ
ドライブで 高知自動車道伊野ICから約34km。または、須崎東ICから約27.5km
駐車場 横倉山第3駐車場(70台)を利用、駐車場から徒歩25分
問い合わせ 越知町観光協会 TEL:0889-26-1004
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

安徳天皇阿弥陀寺陵

源平の最終決戦となった壇之浦の合戦で平家一門が敗れ、二位尼(にいのあま)に抱かれ、数え年8歳だった安徳天皇(平清盛の孫)は入水して命を絶ちます。赤間神宮の水天門は、入水した安徳帝を慰めるために竜宮城に見立てて建てられており、隣接して安徳天皇

 

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