蛭子山古墳

蛭子山古墳

京都府与謝郡与謝野町にある巨大な前方後円墳が蛭子山古墳(えびすやまこふん/蛭子山古墳群の1号墳)。国の史跡となる網野銚子山古墳(京丹後市網野町)、神明山古墳(京丹後市丹後町)とともに「日本海三大古墳」のひとつですが、一番最初に築造されたのが墳丘長145mの蛭子山古墳です。

一帯は与謝野町立古墳公園として復元整備

蛭子山古墳

丹後半島の付け根部分、天橋立の南東7kmほどの野田川右岸中流域の段丘上に8基の古墳が築造され、そのうち最大のものが1号墳である蛭子山古墳。
蛭子山古墳群では8基の古墳が東西方向に並び、1号墳は墳丘長145mの前方後円墳、2号墳は一辺42mの方墳、3号墳と8号墳は一辺10mほどの方墳で、他の古墳は不明瞭です。
最大の蛭子山古墳(1号墳)は3段構成の墳丘があり、墳丘の斜面には川原石の葺石が置かれ、テラスには埴輪列が巡らされています。

実はこの蛭子山古墳(1号墳)、昭和2年3月7日に丹後地域を襲った北丹後地震によって丘陵に地割れが生じ、古墳の周囲の埴輪列が発見され、その存在が明らかなった古墳です。

古墳時代前期後半の4世紀中頃の築造で、後円部からは舟形石棺も出土し、後円部の覆屋内に保存されています(京都府の文化財に指定)。
この舟形石棺も、墳頂にあった蛭子山神社が、昭和4年に北丹後地震からの社殿再建工事を行なった際偶然、発見されたもので、墓壙周囲からは丹後特有の丹後型円筒埴輪が出土しています。

舟形石棺は、ヤマト王権とも密接な関係があったことを示し、環日本海交流で栄えた丹後で、ヤマト王権と関係のあった首長の墓であることがわかります。

蛭子山古墳群から谷を挟んで南側に位置する作山古墳群とともに一帯は与謝野町立古墳公園として復元整備が行なわれ、「古墳公園はにわ資料館」が建っています。
蛭子山古墳での出土品も「古墳公園はにわ資料館」に収蔵展示されています。

蛭子山古墳
名称 蛭子山古墳/えびすやまこふん
所在地 京都府与謝郡与謝野町明石
関連HP 与謝野町観光協会公式ホームページ
ドライブで 京都縦貫自動車道与謝天橋立ICから約6.5km
駐車場 古墳公園駐車場を利用
問い合わせ 古墳公園はにわ資料館 TEL:0772-43-1992
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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