高橋さんのルーツを探せ!

「神の降臨を願う」タカハシという苗字はたいへん古く、大きく2つの系統を持つ。
天皇家の料理を担当した膳(かしわで)氏は、天武13年(684年)朝臣(あそみ)姓を賜った際に高橋と改称したという。
万葉歌人の高橋虫麻呂がよく知られている。

 

高橋さんのルーツは奈良県に

もう一つは、大和国添上郡高橋(奈良市八条町)に起こる物部氏流高橋氏で、高橋神社の神官の一族である。この氏族は崇神天皇に酒を奉げて神事を行った子孫といわれている。
現在広まっている高橋氏のほとんどは、この奈良市八条町がルーツと思われる。
ちなみに奈良県だけでも約40もの高橋という地名があるというから、さすがにわが国最大の地名姓だけのことはある。

──いまはその名前が消失してしまったが、かつての大和国添上郡は、現在の中心部を含む奈良市の大部分と、大和郡山市や天理市、山添村の一部に相当する広大な地域で、37座の神社が集まる神々の杜(もり)であった。その一つに高橋姓最大の発祥地・高橋神社があるのだ。

佐保川の堤防を走って行くと、堤に高橋神社の小さな赤い鳥居が見えてくる。訪れた高橋神社は、思ったより小さな春日造の社殿だった。
社殿は、永禄年間(1558~1569)に松永弾正の兵乱により焼失したり、その外たびたびの兵火に襲われ、かつてはこの地より北に鎮座していたと思われる。
祭神は栲幡千々姫命(たくはたちぢひめのみこと)、旧社殿地から神鏡が3面発見され、今の高橋神社の神宝になっているという。
鳥居横に、「高橋神社」と刻んだ文化13年(1816年)の石碑があり、遠くに、高円山や大安寺の鎮守の杜・八幡神社を望見する。

しかしながらこの高橋神社は、どう見ても少々貧弱である。
佐藤氏発祥の唐澤山神社や医王寺、鈴木氏発祥の藤白神社などが立派に保存され、全国の佐藤さんや鈴木さんに「ここが私たちのルーツですよ」と胸を張っているのに対し、全国の高橋さんは肩身の狭い思いをしているのではなかろうか。
もっとも、高橋姓と高橋神社は、歴史の古さだけは負けていないが・・・。

──ここで、わが国最大の地名姓・高橋さんに関連する、全国主要な高橋という地名から出た様々な高橋氏を見てみよう。

安芸(現在の広島県)の紀氏高橋氏
石見藤掛城(現在の邑智郡邑南町木須田)の高橋氏
戦国時代に活躍した筑後の高橋氏は大蔵氏の子孫で御原郡(みはらぐん=現在の福岡県三井郡大刀洗町下高橋)の発祥
陸奥の高橋氏は三戸郡高橋郷の発祥(現在の青森県三戸郡南部町高橋)

瀬戸内海の暴れん坊・藤原純友は実は高橋姓だった!

伊予の高橋氏は越智郡高橋の発祥(現在の愛媛県今治市高橋)
伊予の国府は「国府越智郡在」(『和名抄』)とあるように越智郡にあったことがわかっています。『和名抄』によれば、当時の越智郡には朝倉郷・高市郷・桜井郷・新屋郷・拝志郷・給理郷・高橋郷・日吉郷・立花郷・鴨部郷の10郷がありました。
古代の伊予の中心、つまりは国府の場所は特定されていませんが、下胡遺跡(今治市上徳)あたりにあったのではないかと推測されています。
瀬戸内海で反乱を起こしたことで歴史に名を残す藤原純友(ふじわらのすみとも)も、もともとは伊予の国司。
伊予国司となった藤原純友は、海賊討伐を命ぜられていたのだが、任期後も伊予国にとどまって日振島を拠点とし、承平6年(936年)、海賊や農民、浮浪者を率いて挙兵。純友率いる約1000艘の船と2500人の海賊は、瀬戸内海の周辺、備前、摂津、讃岐、備後、太宰府などを襲撃したのだ。

その藤原純友、『大津純友大乱記』(天和元年成立/大津は大洲のこと)によると、越智氏の一族で今治の高橋郷出身・高橋友久の子で良範の養子となったともいわれている。13歳の時、京・七条の御殿で手洗水石を力持ちして、伊予前司・藤原良範に見込まれて養子となったのだというのだ。純友は貢物を納入することができず、弟の市野知島(伊予の日振を所領)に無理に頼んで日振の浦で海賊を、というのが海賊の始まり。この話、なかなか説得力があるのだ。
とすれば、藤原純友ゆかりの高橋郷は、大切な高橋さんのルーツとなる。

この高橋郷には平安時代編纂の『延喜式神名帳』に記載の大須伎神社もあるので、高橋さんならここに参拝を。

東海の高橋さんなら豊田市高橋町へ!

三河の高橋氏は賀茂郡高橋郷の発祥(現在の愛知県豊田市高橋町)
奈良時代の平城京で見つかった瓦や木簡に出できるのが賀茂郡高橋郷。今では企業城下町となった豊田市でも、伊保、挙母、高橋という名前は古代からの由緒ある地名なのだ。
平安期までの複合遺跡である高橋遺跡があるほか、白鳳期の古瓦を出土する牛寺廃寺(野見町)や、平安時代編纂の『延喜式神名帳』に「正五位下野見天神」と記された野見神社(愛知県豊田市野見山町4-21)のある野見山町も高橋郷に含まれる。平安末期~戦国時代には高橋荘という大荘園だったのだ。明治39年には寺部村・益富村・野見村・渋川村・上野山村・市木村・平井村の7か村と元山中を除く四谷村が合併して高橋村が成立している。
野見宿禰(のみのすくね)を祭神とする野見神社、東海地方でも有数の弥生時代の大規模集落である高橋遺跡は、東海地方の高橋さんなら一度は訪れたいパワースポットだろう。

伊豆の松崎もルーツのひとつ

伊豆の高橋氏は賀茂郡雲見の発祥(現在の静岡県賀茂郡松崎町雲見=雲見上の山城)
伊豆・雲見(静岡県松崎町雲見)には高橋姓も多いが、雲見温泉を見下ろす中世の山城・上の山城(うえのやまじょう)の城主が高橋丹波守(たんばのかみ)。
伊豆海賊11人衆の1人として雲見村をなし戸数7戸、人口45名の寒村を基盤として、独自の働きで自主的な生き方をしていた。北条早雲(ほうじょうそううん)が伊豆を制圧すると、北条氏に従属し、その水軍となり高橋将監(しょうがん)と称して活躍。天正17年(1589)には小田原城主北条氏政(うじまさ)、韮山城主北条氏規(うじつね)、下田城主清水康英らに鯨1頭を上納したという記録もある。
駿河湾に突き出した標高162mの烏帽子山があり、駿河湾を一望する恰好の物見台。頂上には、浅間神社があり、高橋氏は代々同社の神主をも務めた。
毎年10月の第2日曜日に開催される『雲見温泉海賊料理まつり』は戦国時代に雲見の高橋氏が北条氏に船や鯨を献上したという故事に因んだもの。鯨に見立てた120kgもあるカジキマグロの献上儀式が行なわれ、献上されたカジキマグロは客の前で豪快に解体され、刺身として振る舞われる。
ルーツを旅する高橋さんならぜひ参加したい祭だ。

雲見温泉海賊料理まつり
高橋さんならぜひ参加したいのが『雲見温泉海賊料理まつり』

高橋姓の代表家紋は竹に雀、切り竹に笹などの竹笹紋で、竹は神が降臨する神木なのでいかにも高橋氏に似つかわしい。
また、三つ柏などの柏紋もあるが、柏は古代の食器でもあり、こちらも高橋氏の職種をよく表している。
他に、笠、鷹の羽、剣菱、杏葉(ぎょうよう)、花菱、三つ鱗など。

奈良の高橋神社は少々遠いので訪れにくいとおっしゃる方は、静岡県三島市の高橋神社(三島市松本298)へぜひどうぞ。こちらも天武天皇から高橋姓を賜った子孫が祖神を祀ったのが始まりという、奈良と同じような伝承を持っている。

協力/札場靖人(家紋と姓名研究家)

 

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