五條天神社

五條天神社

東京都台東区の上野公園、不忍池近くに鎮座する神社。主祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)ですが、菅原道真が祀られていることから天満宮にもなっていて、中世から五條天神と呼ばれていました。社伝によれば、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の際に創建したと伝えられています。

「江戸三大天神」のひとつにも数えられる!

五條天神社
五條天神社

徳川家康の江戸入府以降、上野の山は西の比叡山延暦寺に対し、東叡山寛永寺の寺領となり、東国の天台宗の中心として繁栄しました。
五條天神社も、往時には天神山(現在の清水観音堂あたり)にありましたが、寛永寺黒門(旧本坊表門=現在の上野公園の南端)、さらには元禄10年(1697年)、連歌師の瀬川屋敷(現・アメヤ横丁入口)に遷座しています。
創建の地・天神山にほど近い現在の場所に遷ったのは昭和3年になってから。
五條天神社遷座の前から鎮座していた忍岡稲荷(明治6年に花園稲荷神社に改称)は今も境内に残されています(幕末の上野戦争の最後の激戦地)。
ちなみに江戸時代、東叡山寛永寺の正門は黒門、そのほか新黒門、穴稲荷門、清水門、車坂門、屏風坂門、谷中門、新門の7門があり、城郭のように寛永寺を守備していました。
そして穴稲荷門近くの忍岡稲荷(穴稲荷とも)は、上野の山の守護神となっていたのです。

菅原道真像は天海大僧正が開眼

五條天神社

『江戸名所図会』によれば、天神と称するものの、菅原道真像などが祀られていなかったため、東叡山寛永寺を開いた家康側近の天海大僧正と、その後継者・公海は、寛永18年(1641年)、道真像の開眼供養を行なっています。
以降、下谷天満宮とも呼ばれるように。

江戸時代には、湯島天満宮、平河天満宮と並び「江戸三大天神」に数えられていました(五條天神社に代えて亀戸天神社を加える場合もあります)。

例大祭は毎年5月25日に斎行され、1月25日には神職による桧の一刀彫りが授与される『鷽替えの神事』も行なわれています。
さらに6月30日に夏越の大祓、12月31日には年越の大祓もあり、25日頃には社殿前に茅の輪も置かれるのでお見逃しなく。

『江戸名所図会』に見る忍岡稲荷

『江戸名所図会』は、天保年間(1831年〜1845年)に神田の町名主・斎藤月岑(さいとうげっしん=神田司町2丁目には斉藤月岑居宅跡碑が立っています)が7巻20冊で刊行した江戸名所のガイドブック。
挿図は、長谷川雪旦(はせがわせったん)によるもの。

『江戸名所図会』 7巻「忍岡稲荷社」

東都七天神
文政6年(1823年)刊行の『菅神御一代文章』(十返舎一九)には東都七天神が記されています。
亀戸天神社(亀戸天神)、湯島天満宮(湯島天神)、平河天満宮(平河天神)、牛天神北野神社(牛天神)、西向天神社(大久保天神)、五條天神社(五條天神)、仲町氷川神社(関屋天神)が「東都七天神」。
江戸時代後期にはこの7社を含めて「江戸二十五天神」巡りが行なわれましたが、残念ながら現存していないものも多くなっています。
いずれにしろ、江戸時代後期には天神信仰の隆盛があり、毎月25日の天神様の縁日には多くの信者が参拝したことが想像できます。
 

五條天神社 DATA

名称 五條天神社/ごじょうてんじんじゃ
所在地 東京都台東区上野公園4-17
電車・バスで JR・京成・東京メトロ銀座線・日比谷線上野駅から徒歩5分
駐車場 上野恩賜公園第一駐車場・第二駐車場(有料)などを利用
問い合わせ TEL:03-3821-4306
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

亀戸天神社

2017.02.12

湯島天神

2017.01.06

 

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