谷保天満宮

谷保天満宮

東京都国立市の甲州街道沿いに建つ古社、谷保天満宮(やぼてんまんぐう)。社伝によれば903年(延喜3年)、菅原道真の三男・菅原道武(すがわらみちたけ)が創建したといい、「野暮天」(やぼてん)という言葉の由来になったともいわれています。梅林は梅の名所で、受験シーズンには合格祈願の受験生で賑わいを見せます。

関東最古という歴史を誇る天満宮は、「交通安全祈願発祥の地」

鎌倉時代の建治3年(1277年)、宇多天皇の勅命で藤原経朝書「天満宮」の扁額が奉納されていますが、この扁額は現存し、国の重要文化財に指定。
宝物館に収蔵される村上天皇奉納の木造獅子狛犬(もくぞうししこまいぬ)も国の重要文化財です。
ケヤキ、ムクノキ、エノキなどがうっそうと茂る社叢(往時は杉林)は、東京都の天然記念物。
湯島天神、亀戸天神と並んで「関東三天神」ともいわれる谷保天満宮。
江戸時代までは安楽寺が谷保天満宮を管理する別当寺で、安楽寺には子院六坊があり繁栄しました。

明治の廃仏毀釈で安楽寺は廃寺となり、六坊のうち滝本坊が「滝の院」となって歴史を今に伝えています。
安楽寺の宝物も谷保天満宮の宝物館に収蔵されています。
天満宮の本殿・拝殿が南向きなのは、かつて甲州街道は立川段丘の下を通っていたから(江戸時代に多摩川の流れの変化によって段丘上に移されています)。

明治41年8月1日、有栖川宮威仁親王の運転する「ダラック号」(Darracq)を先頭に、有栖川宮威仁親王殿下が、吉田真太郎と内山駒之助につくらせた国産初のガソリン自動車「タクリー号」(国産吉田式自動車/エンジンは1837ccの水平対向2気筒で12馬力)など11台が隊列を組み、立川までの日本初のドライブツアー(遠乗会)が行なわれました。

谷保天満宮の梅林で昼食会が行なわれたため、境内には「有栖川宮威仁親王殿下台臨記念」の石碑もあり、有栖川宮威仁親王は、拝殿に昇殿参拝の後、帰途に就いたため、谷保天満宮では「交通安全祈願発祥の地」としています。

『うそ替え神事』は11月2日〜3日に行なわれています。
JR南武線谷保駅の駅名は「やほ」としていますが、神社はあくまで「やぼ」。
「やほ」と読むのは野暮なんです。

谷保天満宮発祥之地は府中!?
もともとは、現在の中央自動車道国立府中ICの東側、府中市日新町2丁目(本宿村南天神島)にあったとされます。
菅原道真は、昌泰の変で九州・大宰府(だざいふ)に左遷されますが、その子達も左遷・流罪となり、第三子・菅原道武は武蔵国・府中(国府がありました)に流されたとされています。
そして菅原道武が父の尊像を築いて祀ったことが谷保天満宮の創建。
その後、子孫は津戸姓を名乗り、平清盛の没した治承5年(1181年)、津戸三郎為守 (つのとのさぶろうためもり=法然上人に帰依した武人として有名)が国立に遷し、社殿を築いています。
府中市日新町2-36の日新稲荷神社境内に「谷保天満宮発祥之地」碑が立っています。
ちなみに菅原道真は子沢山で10男4女を設けたとされていますが、史書などの記録には菅原道武の名はありません(実名を秘して道武と称したとも)。
社伝では三男ということなので、菅原景行ということになりますが、延喜9年(909年)、下総守になっています(駿河へ一時左遷された後に赦免され東国に下ったというのが通説)。
ひょっとすると津戸三郎為守が出自を菅原氏としただけ(家康が徳川家を名乗ったように)という可能性も・・・。

谷保天満宮 DATA

名称 谷保天満宮/やぼてんまんぐう
所在地 東京都国立市谷保5209
関連HP 谷保天満宮公式ホームページ
電車・バスで JR谷保駅から徒歩5分
ドライブで 中央自動車道国立府中ICから約1.6km
駐車場 30台/無料
問い合わせ 谷保天満宮社務所 TEL:042-576-5123
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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