いのりの磯道(磯丸歌碑の道)

いのりの磯道(磯丸歌碑の道)

愛知県田原市伊良湖町、伊良湖岬の先端、伊良湖水道を挟んで鳥羽・神島を眼前にする伊良湖岬灯台の建つ岩礁地帯を巡る遊歩道がいのりの磯道。沿道に漁夫歌人・糟谷磯丸(かすやいそまる)の詠んだ「まじない歌」の歌碑が並ぶため、磯丸歌碑の道とも称されています。

糟谷磯丸の「まじない歌」で祈願しながら散策

「無筆の歌よみ」として知られる糟谷磯丸は、宝暦14年(1764年)、伊良湖村の貧しい漁師の長男として誕生。
母の病気全快を願い、伊良湖神社に日参するうちに参拝者の詠む和歌の魅力に惹かれ、35歳にして歌の道を志し、三河各地に旅をし、歌を作り、人々に請われて「まじない歌」を生み出しました。

磯丸の祈りが通じてか母の病気は全快し、伊良湖の大火事の折には磯丸の家だけ焼けなかったという不思議もあり、磯丸に歌を詠んでもらうと願いがかなうという噂が広まり、家内安全、恋愛成就、子孫繁栄など多くの願いが込められた歌が誕生したのです。

伊良湖岬灯台を通る、「いのりの磯道」には1〜70までの歌碑が並んでいますが、生涯に、請われて制作したまじない歌、ゲーム感覚で詠んだ遊戯歌(折込歌)、旅先での挨拶歌、伊良湖を詠み込んだ歌などたくさんの歌に触れることができます。
なかでも、まじない歌は、当時の人々の祈り、困りごとの解消、願い事などを頼まれるまま歌にしたもので、地元では「歌碑の前で祈れば願いが通じるパワースポット」として喧伝されています。

入口に立つ糟谷磯丸翁の銅像は、糟谷磯丸翁生誕250年記念事業として平成27年5月3日に建立されたもの。

糟谷磯丸の「まじない歌」

いのりの磯道(磯丸歌碑の道)

・商い繁盛の歌「かけねなく うりかうことを やすくせば とくはますます はかりしられず」(商売繁盛のおまじないを頼まれて作った歌)
・子孫の栄える歌「祝うぞよ ふた木がもとに 生いいでて 育つ小松の 千代の栄を」(「子の栄える歌」と乞われて詠んだ歌)
・家内安全歌「むつまじく 君もろともに 住吉のまつに契りて 千世も栄えよ」
・病の治る歌「すませただ 心しきよく すみぬれば やまひは水の あはと消まし」

まじない歌を作った背景には、天明の大飢饉、浅間山噴火、天保の大飢饉、大塩平八郎の乱などが続いた当時の天変地異、政情不安がありました。

いのりの磯道(磯丸歌碑の道)
名称 いのりの磯道(磯丸歌碑の道)/いのりのいそみち(いそまるかひのみち)
所在地 愛知県田原市伊良湖恋路浦
関連HP 渥美半島観光ビューロー公式ホームページ
電車・バスで JR豊橋駅から豊橋鉄道バス伊良湖岬行きで1時間29分、終点下車
ドライブで 東名高速道路豊川ICから約55km
駐車場 恋路が浜駐車場(138台/無料)、道の駅伊良湖クリスタルポルト駐車場も可能
問い合わせ 渥美半島観光ビューロー TEL:0531-23-3516
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

伊良湖岬(伊良湖岬灯台)

伊良湖岬は渥美半島の先端、伊良湖水道に突き出した岬。先端には「日本の灯台50選」にも選ばれる、白亜の伊良湖岬灯台が建っています。灯台の初点灯は昭和4年。伊良湖水道は潮流が速く、暗礁が続く航海の難所、伊勢湾、三河湾の入口でもあることから、付近

 

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