11月3日は「ゴジラの日」、ゴジラの初上陸地・大戸島へ!

ゴジラ

11月3日は「ゴジラの日」。ゴジラシリーズ第1作となる怪獣映画『ゴジラ』が封切られたのは昭和29年11月3日。ゴジラが初めて上陸したのが大戸島(太平洋上の小島という設定)ですが、ロケ地となったのが、当時は陸の孤島だった、現・三重県鳥羽市の石鏡(いじか)の漁港です。

当時の鏡浦村民300人がエキストラでロケに参加

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ゴジラ初上陸の地、石鏡漁港

歌手の鳥羽一郎・山川豊兄弟の故郷ということでも知られる石鏡ですが、ゴジラファンにとっては、実は聖地的な存在。
リアス式海岸の複雑な地形で、パールロード(現・三重県道128号鳥羽阿児線)が開通する昭和48年4月1日までは、道の狭い県道はあったものの、まさに陸の孤島でした。

パールロードが開通後も、山上のドライブウェイを走っていては、海岸部に素敵な漁港があることはほとんど気がつくことなく通過していまいます。

パールロード途中から「ようこそ鳥羽一郎・山川豊兄弟誕生の地へ 石鏡旅館街」という入口の看板を見落とさず、海岸へと下ると石鏡漁港。
海から突然ゴジラが現れ、人々が逃げ惑うという大戸島の漁港シーンは、石鏡漁港の坂道で撮影。
地元では「ゴジラ坂」と通称される坂道を、エクストラだった鏡浦村民300人(撮影当時は志摩郡鏡浦村で、映画公開直前の昭和29年11月1日に広域合併で鳥羽市が発足)が駆け上がったのです。
エキストラだった人たちもすでに80歳を超えていますが、ロケを懐かしむ人も健在とのこと。

太平洋上の小島(映画では小笠原諸島をイメージ)という設定の大戸島の神社での神楽(かぐら)シーン(厄払いの舞台)は鳥羽駅に近い賀多神社(かたじんじゃ)の組み立て式能舞台が使われています(神楽の曲は伊福部昭が作曲)。

当時は陸の孤島だった石鏡へ、俳優は巡視船で通って撮影

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『ゴジラ』の特撮セットで、左端が本多猪四郎、中央が円谷英二

現在の鳥羽市一帯をロケ地に設定したのはさすがとしかいえませんが、監督の本多猪四郎(ほんだいしろう)は山形県、特撮技術の円谷英二(つぶらやえいじ)は福島県出身とふたり揃って東北人。

実は本多猪四郎は東宝教育映画『伊勢志摩』(昭和24年)、東宝映画『青い真珠』(昭和26年)の監督を務めているので、実はかなりの土地勘があったと推測できます。
ラストシーンの海中撮影のため「日本で最も海の水の透明度の高い場所」を探して、まず五ヶ所湾が決まり、続いて上陸地となる石鏡が決まったのです。

ロケが始まったのは昭和29年8月7日。
陸の孤島で撮影の機材を運ぶこともままならない場所ということもあって、海上保安庁第4管区海上保安本部の協力を得てロケが行なわれています(古生物学者・山根恭平博士役の俳優・志村喬なども鳥羽から海上保安庁の船で石鏡に通っています)。
盛夏ということもあり、本多猪四郎監督は海上保安庁の巡視船の上で上半身裸となって撮影に挑んだため(ロケは1週間ほど)、背中が日焼けで水ぶくれになるほどだったとか。

本多猪四郎は群衆が逃げるシーンにもこだわりをみせ、自身の戦争体験から、被害を受ける民衆を描くことにも注力しているのです。
エキストラ300人は普段のままの服装(漁師、海女)で参加し、リアルな雰囲気を醸しているのです。

51日後の9月下旬にクランクアップし、11月3日の公開というかなりタイトなスケジュールだったことがわかります(特撮シーンも並行して8月下旬〜10月下旬に撮影、作品完成は10月25日)。

『ゴジラ』第1作はモノクロ映画ですが、4Kリマスター版も出ているので、ぜひ、一度視聴してから石鏡へ旅してみましょう。

石鏡には、「石鏡第一ホテル神具良」、「いじか荘」という設備の整った宿もあるので、伊勢海老など美味しい魚介を味わう滞在にも向いています。

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11月3日は「ゴジラの日」、ゴジラの初上陸地・大戸島へ!
所在地 三重県鳥羽市石鏡町
場所 石鏡漁港
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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