前方後円墳はヤマト王権の権力支配を象徴するシンボル的な墳墓で、古墳の形と大きさは、被葬者のヤマト王権内における政治的身分を端的に表しています。国内の前方後円墳の築造年代、そしてその大きさや出土品から王権との関係性を探ることができ、「ヤマト王権の勢力範囲」を知ることができるのです。
最北の前方後円墳:角塚古墳|岩手県
所在地:岩手県奥州市胆沢南都田
築造時期:5世紀末〜6世紀初頭(古墳時代中期)
墳丘長:墳丘長43m〜45m
内容:岩手県では唯一の前方後円墳が角塚古墳(つのづかこふん)
前方部には各種の形象埴輪が並んでいました
東方2kmに坂上田村麻呂が802年(平安時代の延暦21年)に築いたとされる古代城柵の胆沢城(いさわのき/史跡胆沢城跡)があり、その100年も前、6世紀初頭のヤマト王権の最前線だったことが推測できます
日本海側最北の前方後円墳:秋津城崎古墳群|新潟県
所在地:新潟県佐渡市秋津
築造時期:4世紀(古墳時代前期)
墳丘長:1号墳30m、2号墳28m
内容:2025年4月24日に発見が発表された古墳群が秋津城崎古墳群(あきつきのさきこふんぐん)
加茂湖の湖畔に築かれ、ひとつの遺跡(古墳群)に前方後円墳が2基あります
佐渡にヤマト王権とつながりのある実力者(豪族)が4世紀、2代にわたって繁栄していたことが判明
古代の日本海の大交流を証明する貴重な遺跡です
東国支配の拠点:太田天神山古墳|群馬県
所在地:群馬県太田市内ケ島町1606-1ほか
築造時期:5世紀前半〜中期
墳丘長:210m
内容:東国最大の古墳で、毛野(けの・けぬ)の大王の墓
東日本では、墳丘長が200mを超える前方後円墳は天神山古墳のみ
「王者の石棺」とも称される王墓に特有の棺である長持形石棺も出土
大王との密なる関係:稲荷山古墳|埼玉県
所在地:埼玉県行田市埼玉
築造時期:5世紀後半
墳丘長:120m
内容:行田市にある埼玉古墳群(さきたまこふんぐん)で最初に築造されたと推測される古墳
国宝「金錯銘鉄剣」が出土していますが、刻まれた文字には獲加多支鹵大王(ワカタケル大王=雄略天皇/ゆうりゃくてんのう)に仕えた乎獲居臣(おわけのおみ)の功績などが記されています
日本海側最大の古墳:柳田布尾山古墳|富山県
所在地:富山県氷見市柳田布尾山
築造時期:3世紀末から4世紀初頭(古墳時代前期前半=ヤマト王権の初期)
墳丘長:107.5m
内容:北陸東部の日本海側で強大な勢力を誇った大首長の墓
富山湾や日本海の海上交通も掌握し、ヤマト王権とも密接な関係があった古代・越国(こしのくに)屈指の首長と推測できます
大王との密なる関係:江田船山古墳|熊本県
所在地:熊本県玉名郡和水町江田
築造時期:5世紀後半
墳丘長:62m
内容:国宝「銀象嵌銘大刀」の出土で有名な古墳
「銀象嵌銘大刀」に75の漢字で記された文字は、「大王の恩を得て、長寿で子孫が絶えることなく続き、自分の領地を失うことがない」
ワカタケル大王(「獲加多支鹵大王」)とは『記紀』に記された雄略天皇のことと推測され、5世紀後半にはヤマト王権の支配がこの地にまで及んでいたことがわかります
最南の前方後円墳:塚崎51号墳(花牟礼古墳)|鹿児島県
所在地:鹿児島県肝属郡肝付町野崎塚崎
築造時期:5世紀後半(古墳時代中期)
墳丘長:71m
内容:前方後円墳5基・円墳54基(現存するのは39基)と地下式横穴墓29基で構成される塚崎古墳群の1基
大隅半島の東部、野崎塚崎台地に築かれた古墳群で、ヤマト王権の勢力圏の最南端
前方後円墳5基が築造されていることから、九州南部にも勢力圏が及んでいたことがわかります
邪馬台国と対立していた倭人の国「狗奴国」(くぬこく)との関係性もあるのかもしれません
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