寒霞渓
小豆島中央部に位置し、東西7km、南北4kmにおよぶ大渓谷が、寒霞渓(かんかけい)。花崗岩、安山岩などが浸食され、奇岩・奇峰群となったもので、古くは『日本書紀』に応神天皇が岩に鉤(かぎ)をかけて登ったとの記述から、鉤掛山…
小豆島中央部に位置し、東西7km、南北4kmにおよぶ大渓谷が、寒霞渓(かんかけい)。花崗岩、安山岩などが浸食され、奇岩・奇峰群となったもので、古くは『日本書紀』に応神天皇が岩に鉤(かぎ)をかけて登ったとの記述から、鉤掛山…
小豆島(しょうどしま)の土渕海峡は、土庄(とのしょう)港と池田湾の間にある海峡(海峡=陸地によって狭められている海域)。小豆島と前島に挟まれた海峡は、海峡といっても全長は2.5km、最大幅400m、最小幅は、なんと9.9…
高松の沖合に浮かぶ男木島(おぎしま)。島の最北端に立つ男木島灯台(総御影石造り)は、昭和32年に公開された映画『喜びも悲しみも幾歳月』(監督・木下恵介、主演・佐田啓二、高峰秀子)の舞台になった場所。灯台とともに明治28年…
男木島の北端に明治28年12月10日に初点灯した全国でも珍しい総御影石造りの灯台が男木島灯台。日清戦争直後の海運助成策で、急増する瀬戸内海航路の安全のために灯台が建設されました。総御影石造りで無塗装の灯台は角島灯台(つの…
高松藩の政庁だった高松城。本丸、二の丸、三の丸周辺は玉藻公園(有料公園)として整備されています。高松城の大手門は現存しておらず、現在は玉藻公園のJR高松駅・ことでん高松築港駅に近い西入口と、玉藻公園駐車場側の東入口から登…
日本100名城に選定される丸亀城の城跡公園が亀山公園。現存12天守の中でもっともミニサイズの天守が、日本一高いといわれる石垣群の上にそびえたっています。山麓から山頂まで、4層になる石垣は、総高60mにも及びます。正面玄関…
今治城(愛媛県今治市)、中津城(大分県中津市) と並んで日本三大水城に数えられる高松城。埋め立てや市街化が進んではいますが、今も内堀は海とつながり、水門で水位が管理されています。そんな内堀を和船で遊覧するのが「玉藻丸」で…
玉藻公園は、玉藻城とも呼ばれる高松城の城跡。高松城は1588(天正16)年、豊臣秀吉の重臣・生駒親正(いこまちかまさ)の築城以来、生駒4代、松平11代にわたって歴代高松藩主の居城となった城。現存する遺構は、1642(寛永…
高松城の二の丸と本丸を結び、内堀に架かる橋が鞘橋(さやばし)。本丸への唯一の登城ルートになっています。現在の橋は切妻造りの屋根で銅板葺き、そして切目のない腰板の付いた珍しい木橋で、明治17年に建て替えられたもの。さらに昭…
二の丸から鞘橋(さやばし)を渡ると本丸です。本丸虎口を経て本丸へと入る構造になっています。本丸には東端に天守、北面に中川櫓と呼ばれる櫓門と中櫓、北西隅には矩櫓(かねのやぐら)、南西隅には地久櫓(ちきゅうやぐら)が建ち、こ…
高松城の三の丸には現在、大正時代に建てられた披雲閣があります。生駒時代から松平時代の初期にかけては倉庫が数棟建てられていましたが、1700(元禄13)年に二の丸にあった御殿が廃され、御殿(旧披雲閣)が建てられ、藩政の中心…
JR高松駅やことでん高松築港駅に近い玉藻公園の西口を入ると高松城二の丸。江戸時代には、現在の西口あたりに西の丸からの二の丸入口となる刎橋口(はねばしぐち)と呼ばれる門がありました。三の丸側から入る鉄門(くろがねもん)が二…
内苑御庭は高松城三の丸に築かれた藩政時代の庭をもとに、大正5年頃に手を入れた枯山水の庭。大正3年〜6年に再建された披雲閣の庭園として築庭されたものです。老松の緑のなかに江戸時代の三尊石や重さ11tといわれる手水鉢や大飛石…
披雲閣はかつての高松城三の丸にあたる場所に建ち、藩政時代には藩主の住居となっていた三の丸御殿の名称。明治維新後、往時の披雲閣は老朽化を理由に取り壊されましたが、高松松平家の12代当主・松平賴寿伯爵(高松藩最後の藩主・松平…
江戸時代には高松城の北側は真下まで海で、藩主は水手御門から小舟で出て、沖に停泊する御座船「飛龍丸」に乗り換えて参勤交代に出かけていたという。その時、出入りに使われた門が水手御門で、国の重要文化財に指定されています。
高松城の内苑御庭北側の北の丸にあり、北から月見櫓・水手御門・渡櫓と連続している重要文化財の櫓。月見櫓は1676(延宝4)年の上棟で、3つの建築物ともその前後の築年と推測され、国の重要文化財に指定されてます。今治城(愛媛県…
藩政時代には20の櫓があり、海上から見るとまさに浮城のように見えたという高松城(玉藻公園)。艮櫓(うしとらやぐら=丑寅櫓)は高松城東の丸にあった隅櫓(すみやぐら)で、北東(丑寅の方角)という高松城の鬼門を鎮護していた櫓で…
丸亀市のシンボルともなっている丸亀城は、亀山(標高66m)の山頂に本丸を配した平山城。1597(慶長2)年、豊臣秀吉の配下として活躍した生駒親正(いこまちかまさ)が讃岐17万石を与えられ入城し、6年の歳月を要して近世の城…