八重垣神社・連理玉椿(夫婦椿)
島根県松江市に鎮座する八重垣神社社前の連理玉椿は夫婦椿とも呼ばれ、その昔、稲田姫命(いなだひめのみこと)が2本の椿の枝を立て、それが芽を出し一身同体になったと伝えられる不思議な椿。境内には社殿横の乙女椿、佐久佐女の森入口…
島根県松江市に鎮座する八重垣神社社前の連理玉椿は夫婦椿とも呼ばれ、その昔、稲田姫命(いなだひめのみこと)が2本の椿の枝を立て、それが芽を出し一身同体になったと伝えられる不思議な椿。境内には社殿横の乙女椿、佐久佐女の森入口…
八重垣神社の社伝によれば、稲田姫命(くしなだひめのみこと)が八岐大蛇(やまたのおろち)から逃れるため、佐久佐女の森を中心に八重垣を造り身を隠したと伝えられる場所。佐久佐女の森にある鏡の池は、稲田姫が湧き水を飲んだり、姿を…
日本神話で、素戔嗚尊(すさのうのみこと)が詠んだとされる日本最古の歌「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣つくるその八重垣を」の古歌で名高い神社が、島根県松江市の八重垣神社。八岐大蛇(やまたのおろち)を退治した素戔嗚尊と稲田…
島根県松江市大庭町にある神魂神社(かもすじんじゃ)は、出雲国造り家の祖を祀る古社で、神社自体が古代出雲文化を今に伝える文化遺産。「大庭の大宮さん」と地元では呼ばれています。祭神は伊弉冉尊(いざなみのみこと)、伊弉諾尊(い…
松江藩主で茶人として名高い松江藩7代藩主・松平治郷(不昧/ふまい)が、安永8年(1779年)、茶の湯を楽しむために松江城下・殿町の有澤家本邸に建てた茶室が明々庵(めいめいあん)。東京の松平伯邸に移されていましたが昭和3年…
島根県松江市、城下町の風情を残す塩見縄手にある藩政時代の松江藩中級藩士(石高が500~1000石程度の武士)が住んだのが武家屋敷。塩見縄手の名前の由来となったとされる塩見小兵衛(しおみこへえ)も住んだ屋敷で、現存する建物…
城下町の風情を色濃く残す、島根県松江市の塩見縄手の小泉八雲旧居に隣接して建つのが田部美術館。入口の長屋門は松江市指定文化財。奥出雲の山林大地主(往時には日本一の山林王)でもあった田部(たなべ)家23代に歴代伝わった書画、…
松江市の塩見縄手に建つ小泉八雲記念館は、明治の文豪・小泉八雲(ラフカディオ・ハーン/Patrick Lafcadio Hearn)の記念館で、新婚時代を過ごした小泉八雲旧居に隣接。ギリシア生まれのラフカディオ・ハーンは、…
松江城山公園にある神社で松江藩の初代藩主の松平直政を祭神に祀っているのが松江神社。国宝の天守がそびえる松江城の本丸から南側に一段下がった二の丸にあり、明治30年に拝殿、本殿とともに城山公園内に移築されたもの。堀尾忠晴創建…
松江藩の基礎を築いた松平直正(松江城を築いた堀江吉春から数えて3代目の藩主で、家康の孫にあたる)が松江城内に勧請した神社が城山稲荷神社。境内には境内を囲むように1000以上もの石の狐が奉納され、松江をこよなく愛した明治の…
明治36年に松江に天皇を迎えるために建築された興雲閣(こううんかく)。当時のお金で1万3489円をかけて完成した擬洋風建築です。建設当時は「ロシア宮殿風」と近隣に喧伝(けんでん)されたとか。日露戦争勃発などにより、山陰の…
かつて松江城下への物資搬入にも活躍した北田川。松江城の北を流れる北田川はそのまま松江城の内堀として活用されています。慶長16年(1611年)に松江城を築いた初代藩主・堀尾吉晴は、築城の際に宇賀山を堀削して内堀とそれに並行…
明治4年の廃城の後、明治8年に取り壊されたのが松江城二の丸の櫓群。平成13年に復元された櫓のひとつが、藩主の居住空間である御殿もあった松江城二の丸の東南角を守る南櫓です。
かつて松江城の二の丸には、東の櫓、太鼓櫓、中櫓、南櫓、御月見櫓という5つの櫓が並んでいました。平成13年に松江藩大工頭・竹内右兵衛書つけ(松江城廓の実測記録)などをもとに復元された櫓のひとつが御貝足蔵と呼ばれた中櫓です。
島根県松江市、松江城の大手に面した二の丸の東側に平成13年に2層の南櫓、平櫓の中櫓、太鼓櫓が125年ぶりに復元(明治8年に取り壊されていました)。御廊下橋と呼ばれた千鳥橋あたりから眺めると、二の丸の高石垣、内堀、そして櫓…
島根県内では出雲大社に次いで参拝者が多いのが津和野町の太皷谷稲成神社(たいこだにいなりじんじゃ)。参道から社殿までの約250m、1000本もの赤い鳥居のトンネルが、まるで山を登るように連なって見えるので、最近ではフォトジ…
太皷谷稲成神社(たいこだにいなりじんじゃ)の参道と、津和野城跡を結ぶ津和野町営のリフト。山麓から歩けば40分以上かかるところを、リフトを利用すれば津和野城の主郭まで徒歩15分ほどで到達できます。料金などは津和野町城跡観光…
津和野城は、津和野を眼下にする標高347.5mの霊亀山山上にあった典型的な山城の跡で国の史跡。吉見頼行が、鎌倉時代の永仁3年(1295年)から30年を費やして築城したのが始まり。現存する石垣などは関ヶ原合戦以降のもの。山…