南硫黄島
東京都小笠原村、東京都心から南へ1300km、硫黄島のさらに南60kmにある無人島が、南硫黄島。(みなみいおうとう)。北から西之島、北硫黄島、硫黄島、南硫黄島と続く火山列島(硫黄列島)の南端に位置し、東京都心とグアム島の…
東京都小笠原村、東京都心から南へ1300km、硫黄島のさらに南60kmにある無人島が、南硫黄島。(みなみいおうとう)。北から西之島、北硫黄島、硫黄島、南硫黄島と続く火山列島(硫黄列島)の南端に位置し、東京都心とグアム島の…
東京都小笠原村、東京の南方洋上1170kmにある絶海の孤島が、北硫黄島(きたいおうとう)。硫黄島、南硫黄島、西之島と火山列島(硫黄列島)を構成しています。標高792mの榊ヶ峰(さかきがみね)が聳えますが、巨大な山体の海底…
東京都小笠原村、小笠原諸島の北部に位置するのが聟島列島(むこじまれっとう)で、その南端に位置する島が嫁島。嫁島の南東側にある属島の前島、さらにその横の前南小島が、通称、マグロ穴。アーチ状になった洞門の海中を、イソマグロが…
東京都小笠原村、小笠原諸島の北部に位置するのが聟島列島(むこじまれっとう)で、その南端に位置する島が嫁島。後島、後東小島、前島などに囲まれた無人島で、世界自然遺産「小笠原諸島」の構成資産にもなっています。嫁島横にあるマグ…
東京都小笠原村、小笠原諸島の北部に位置するのが聟島列島(むこじまれっとう)で、聟島の南東5kmほどにあり、聟島に次ぐ大きな島が媒島(なこうどじま)。父島の北50kmほどにある無人島で、世界自然遺産「小笠原諸島」の構成資産…
東京都昭島市拝島町5丁目、拝島大師の西、多摩川の河岸近くの龍津寺 (りゅうしんじ)横にあるのが、龍津寺の湧水。東京の名湧水57選に選定される湧水で、多摩川から取水している昭和用水(農業用水)沿いには奥多摩から運…
東京都中央区銀座8丁目、化粧品で知られる資生堂は明治5年、日本初の洋風調剤薬局として海軍病院薬局長・福原有信(ふくはらありのぶ)が銀座に資生堂薬局を創業したのが始まり。創業の地に建つのが資生堂パーラー銀座本店で、ショップ…
東京都小笠原村、伊豆諸島最南の孀婦岩(そうふがん)の南、小笠原諸島の北部に位置するのが聟島列島(むこじまれっとう)で、その主島が聟島。父島の北55kmほどにある無人島で、世界自然遺産「小笠原諸島」の構成資産にもなっていま…
伊豆諸島の友人等の南端・青ヶ島(東京都青ヶ島村)のさらに南65kmに位置し、2個の烏帽子形の岩礁と数個の小岩礁からなる絶海の孤島が、ベヨネース列岩。直径8kmの海底カルデラ(海面下1500m にカルデラ底)の西縁に位置し…
伊豆諸島の最南端に位置する、絶海の孤島(孤岩)が、孀婦岩(そうふがん)。鳥島の南76kmに位置する標高99m、東西84m、南北56mの岩峰で、気象庁の認定する活火山のひとつ(昭和50年には海水の変色が視認されています)。…
東京都内にも絶景のホテルは数ありますが、東京のシンボルともいえる東京タワーを間近に望むのが、ザ・プリンス パークタワー東京。芝公園には東京プリンスホテルもありますが、ザ・プリンス パークタワー東京の高層階、東京タワー側の…
東京都八王子市と神奈川県相模原市緑区との境、高尾山から陣場山方面に歩き、小仏峠の手前にあるピークが、小仏城山(こぼとけしろやま)。標高は670.4mと高尾山より70mほど高峰です。芝生に覆われた山頂には「城山茶屋」があり…
青ヶ島(東京都青ヶ島村)から南に110kmの太平洋上にある絶海の孤島(伊豆諸島の無人島)が、須美寿島。スミスカルデラの外輪山の一部で、岩峰の先端部だけが海上に出ています。東京都に属してはいますが、所属する市町村がなく、東…
東京都八丈支庁に属する伊豆諸島の離島のひとつが、鳥島(とりしま)。特別天然記念物アホウドリの生息地としても有名な無人島で、所属市町村は未帰属(本籍の設置ができません)。鳥島カルデラの南縁に位置し、気象庁は火山活動度ランク…
東京都大田区平和の森公園、大森ふるさとの浜辺公園に隣接する地に建つ、大森海岸の海苔養殖の歴史を伝えるミュージアムが、大森海苔のふるさと館。江戸時代から昭和初期まで日本一の海苔生産地で、「本場乾海苔」として称賛された大森の…
東京都大田区京浜島1丁目、昭和島と京和橋で結ばれる東京港の人工島・京浜島。飛行機の離発着のビューポイントとして名高い京浜島つばさ公園へとつながる緑道が京浜島緑道公園。昭和島とを隔てる京浜運河沿い(京浜島1丁目)に続く、海…
東京都品川区勝島3丁目、「花とひろばと水と緑の公園」をテーマに、勝島運河を埋め立てて造られた区立公園が、しながわ区民公園。中心施設である「しながわ水族館」へは、JR大井町駅前から無料送迎バスも運行。「しながわ水族館」横…
東京都町田市小野路町にある中世の城が、小野路城(おのじじょう)。平安時代末期の承安元年(1171年)、小山田有重(おやまだありしげ/秩父重弘の次男・秩父有重が小山田荘に住んで小山田氏を名乗る)が小山田城(町田市下小山田町…