靖国通り(震災復興道路)

靖国通り(震災復興道路)

関東大震災(大正12年9月1日)からの帝都復興を目指した震災復興道路の軸のひとつ「幹線第二号」が、靖国通り(第一号は昭和通り)。震災から復興を期に幅員36mに拡幅され、九段坂の急勾配も緩やかに改修されています。当初は大正通りでしたが、戦後、靖国通りに改名されています。

九段坂の急勾配も大幅に改修、近代的な道路が誕生!

新宿大ガード東交差点(新宿区)〜浅草橋交差点(中央区)の8kmで、震災復興道路としては永大通り、晴海通りと同じ36mの幅員です(昭和通り、八重洲通りは44m)。
正式名称は、東京都道302号(新宿両国線)です。
両国というのは、日本橋両国(浅草橋交差点の東、両国橋の西詰で現在も両国郵便局があります)のことで、墨田区の両国ではありません。

東新宿大ガード東交差点では青梅街道に直結、浅草橋交差点では京葉道路へつながっています。
岩本町交差点で震災復興道路の昭和通りと交差するので、岩本町交差点は、「幹線第一号」、「幹線第二号」のクロスポイントということに。

南北方向の「幹線第一号」(昭和通り)と東西の「幹線第二号」(靖国通り)を十字の軸にして東京駅を中心にした 放射・環状道路を組み合わせた道路網が整備され、同時に急速に舗装化も進みました。

九段坂の改修の際に、明治4年築で地域のランドマーク的な存在だった高灯籠(常灯明台)も通りを挟んだ反対側(現在地)に移設されています。
当時の九段坂は急勾配だったため、東京市電(現在の都電)も牛ヶ淵(現在の北の丸公園に沿った堀)側の勾配を削り、緩やかにして線路を敷設していました(現在の千鳥ヶ淵緑道が廃線跡)。

さらに、画期的な技術である共同溝も道路北側に設けられ、坂も緩やかになったので東京市電が通りの中央を走るようになりました。

靖国通り(震災復興道路)
名称 靖国通り(震災復興道路)/やすくにどおり(しんさいふっこうどうろ)
所在地 東京都新宿区歌舞伎町〜中央区日本橋馬喰町
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
高灯籠(常灯明台)

高灯籠(常灯明台)

東京都千代田区九段南、靖国神社参道入口に建つのが高灯籠(常灯明台)。正式名称は高灯籠ですが、創建時に灯台の役割を果たしたことから常灯明台とも呼ばれています。明治維新の激動期に没した犠牲者を慰霊する東京招魂社(現在の靖国神社)の灯籠として明治

千鳥ヶ淵緑道

千鳥ヶ淵緑道

東京都千代田区三番町、江戸開府当時、牛ヶ淵とともに江戸城の飲料水を確保するための水源ダムとして造成されたのが千鳥ヶ淵。大正8年、千鳥ヶ淵公園が開園し、昭和54年、千鳥ヶ淵緑道が整備され、散策にも最適な公園に進化しています。緑道はかつて路面電

昭和通り(震災復興道路)

昭和通り(震災復興道路)

関東大震災(大正12年9月1日)からの帝都復興を目指した震災復興道路の軸のひとつ「幹線第一号」が、昭和通り。大関横丁交差点(台東区)~新橋交差点(港区)の8kmで、幅員44mの道路で、昭和3年に完成。昭和という新しい年号を道路名にしています

永代通り(震災復興道路)

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関東大震災(大正12年9月1日)からの帝都復興を目指した震災復興道路の軸のひとつ「幹線第三号」が、永代通り(えいたいどおり)。帝都復興第一橋梁の永代橋を渡ることから、永代橋通りと名付けられています。永代通りと旧東海道の中央通りが交わるのが日

晴海通り(震災復興道路)

晴海通り(震災復興道路)

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