毛利元就墓所(洞春寺跡)
安芸高田市にある中世の山城、郡山城(吉田郡山城)の城内にある洞春寺跡にあるのが毛利元就墓所(もうりもとなりぼしょ)。郡山城を整備拡幅し、安芸の国人領主から戦国大名へと躍り出た毛利元就は、元亀2年6月14日(1571年7月…
安芸高田市にある中世の山城、郡山城(吉田郡山城)の城内にある洞春寺跡にあるのが毛利元就墓所(もうりもとなりぼしょ)。郡山城を整備拡幅し、安芸の国人領主から戦国大名へと躍り出た毛利元就は、元亀2年6月14日(1571年7月…
広島県安芸高田市、かつての吉田荘(よしだのしょう)を見下ろす、標高400mの郡山の山上にある山城の跡が、毛利元就(もうりもとなり)の居城、郡山城跡(こおりやまじょうせき=吉田郡山城)。「毛利氏城跡 郡山城跡」として国の史…
都が東京に移った後の京都の発展の起爆剤とするため、琵琶湖の湖水を京都市街へと通し、発電、灌漑、さらには物資や旅客の運搬に活用しようという明治初期の一大プロジェクトが琵琶湖疏水建設。レンガや石で組まれた構造物には、明治の元…
日本で最初の営業目的の水力発電所は、京都・蹴上の琵琶湖疏水を利用した「蹴上発電所」(明治24年6月稼働開始)。12月からは京都電灯会社に電力の供給を開始し、蹴上に設置されたインクラインの動力もこの発電所で生まれる電気で供…
三条通から南禅寺に抜ける歩行者用の小径にあるレンガ造りのトンネルが蹴上ねじりまんぽ。その上には琵琶湖疏水(びわこそすい)が通り、船を運んだ傾斜鉄道、インクラインがありました。「ねじりまんぽ」とはレンガの組み方で、大きな負…
海峡の女王と称された「摩周丸」(2代目摩周丸)は、昭和40年から昭和63年までの23年間、青森〜函館間を3時間50分で結ぶ青函連絡船として就航していました。平成3年からはメモリアルシップとして函館港に係留され公開、平成1…
滋賀県の琵琶湖と京都市を結ぶ琵琶湖疏水(びわこそすい/明治23年4月9日開通)は、発電や灌漑に利用するだけでなく、舟運にも使われましたが、途中の勾配を克服するため、傾斜鉄道(インクライン)を利用しました。伏見と蹴上にあり…
南禅寺水路閣を通る琵琶湖疏水の枝線水路は、本流から蹴上(けあげ)で分岐し大文字山の山麓に沿って南禅寺、若王子、高野、下鴨、堀川と流れています。水力発電、かんがい、防火が主な目的の用水ですが、それによって南禅寺水路閣や哲学…
南禅寺境内の最奥部分には、琵琶瀬疏水(びわこそすい)の枝線水路が通過しています。水路は明治23年に建造された南禅寺水路閣と呼ばれるレンガ造り、ローマ風のアーチ橋上を通っているのです。水路閣は全長が93.17m、幅4.06…
東京オリンピックの直前、昭和39年8月12日就航した「八甲田丸」は歴代の青函連絡船55隻のなかで23年7ヶ月と現役期間が一番長かった連絡船で、昭和63年3月13日の青函連絡船の最終航行も「八甲田丸」が務めています。現役を…
慶長9年(1604年)に徳川家康が定めた五街道の起点が江戸・日本橋(東京都中央区)。日本橋川に初代の木造橋を架けたのも家康で、慶長8年3月3日(1603年4月14日)のこと。現在の日本橋(橋長49m、幅員27m)は明治4…
横須賀港の新港埠頭に近くに位置し、海が見渡せる広大な公園が三笠公園。その名の通り日露戦争の日本海海戦で帝国海軍旗艦となった戦艦「三笠」が記念艦として保存されています。「水と光と音」がテーマの三笠公園は、「日本の都市公園1…
日露戦争の際に、連合艦隊司令長官の東郷平八郎が乗る連合艦隊の旗艦として、黄海海戦、日本海海戦で活躍したのが戦艦「三笠」。明治35年にイギリス(ヴィッカース社)で建造され、奈良県にある三笠山(若草山)にちなんで命名された敷…
島原半島南部、現在の南島原市にある原城跡は、周囲4kmの三方を有明海に囲まれ、難攻不落の天然の要塞だった原城(有馬城、日暮城)の城跡。本の丸、二の丸、三の丸、天草丸、出丸などで構成される城跡は原城跡公園として整備されてい…
文禄3年2月27日(1594年4月17日)、豊臣秀吉は、徳川家康、宇喜多秀家、前田利家、伊達政宗らの諸大名をはじめ、豊臣秀頼と正室ねね(北政所)、淀殿ほか側室、茶人、連歌師たちを伴い、総勢5000人の供を従えて吉野山に入…
吉野山・中千本にある吉水神社の山門を入ったところにあるのが吉野山を代表する桜の名所、一目千本(ひとめせんぼん)。豊臣秀吉の吉野の花見の際にも、ここからの眺めに感動したと伝えられています。吉野の花見はやはり、山を敬い崇める…
織田信長が奇想天外な天守を築いた安土城は琵琶湖の東岸にそびえる安土山(現在の近江八幡市安土町)に築城されています。京上洛の要の地である近江の中心部に位置し、織田信長の掲げる「天下布武」を誇示するのに最適な場所が安土山でし…
羽柴秀吉は天正11年(1583年)1月、織田信忠の嫡男(織田信長の孫)・三法師(織田秀信)に年賀を表すべく安土城に登城し、翌2月、二の丸に太刀、烏帽子、直垂などの遺品を埋葬して織田信長の本廟を築いています。安土城二の丸…