普光寺(北大仏)
愛知県名古屋市北区大杉3丁目、名鉄瀬戸線尼ヶ坂駅の北西にある曹洞宗の寺が、普光寺(ふこうじ)。天正5年(1577年)、御器所村・龍興寺6世・儀存の創建で、「北大仏」と称される像高7.235mの金色の大仏(露座の大仏)、諸…
愛知県名古屋市北区大杉3丁目、名鉄瀬戸線尼ヶ坂駅の北西にある曹洞宗の寺が、普光寺(ふこうじ)。天正5年(1577年)、御器所村・龍興寺6世・儀存の創建で、「北大仏」と称される像高7.235mの金色の大仏(露座の大仏)、諸…
広島県呉市豊町御手洗、瀬戸内海に浮かぶ大崎下島で町並み保存地区(国の重伝建)に選定されるのが、御手洗(みたらい)。風待ち湊として栄えた御手洗の歴史ある家並みの中で、珍しい洋館が別宅となるのが、鞆田邸。大正から昭和にかけて…
広島県山県郡安芸太田町、「日本の棚田百選」選定の井仁棚田(いにのたなだ)入口にある狭い隧道(トンネル)が、井仁トンネル。井仁棚田へは中国自動車道戸河内ICから広島県道303号(上筒賀津浪線)を使えば4kmほどですが、最後…
北海道函館市弥生町、かつて箱館奉行所のあった元町公園の下、基坂(もといざか)横のペリー広場に立つのが、ペリー提督来航記念碑。平成14年、ペリー来航150周年を記念して建立された東インド艦隊司令長官マシュー・ペリー(Mat…
東京都小笠原村、東京・竹芝桟橋と父島を結ぶ小笠原海運「おがさわら丸」が入港する小笠原二見港船客待合所近くにあるのが、ペリー提督来航記念碑。東インド艦隊司令長官のマシュー・ペリー(Matthew Calbraith Per…
広島県呉市警固屋町、音戸の瀬戸公園内の標高216mの高台に位置するのが高烏台(たかがらすだい)。音戸の瀬戸を見おろす場所には日招き岩という岩もあり、昭和42年には太陽を呼び戻し海峡開削工事を行なったという平清盛の開削80…
広島県呉市昭和町、自衛隊の潜水艦を眺めるアレイからすこじま地区にあるレンガ造り倉庫群が、昭和町れんが倉庫群。明治30年代に建てられた旧呉海軍工廠赤レンガ倉庫群(きゅうくれかいぐんこうしょうあかれんがそうこぐん)で、海軍工…
広島県呉市昭和町、呉港の海上自衛隊呉基地のFバース(旧呉海軍工廠本部前護岸)に隣接し、レンガ敷きとなった園地から潜水艦や護衛艦を眼前にするというユニークな臨海公園。国内では神奈川県横須賀市・ヴェルニー公園とここだけという…
広島県呉市豊町御手洗、西廻り航路の風待ち湊として発展した大崎下島の御手洗(みたらい)。昔町のメインストリートである常盤町通りにあるのが、旧柴屋住宅(きゅうしばやじゅうたく)。大長村庄屋役、御手洗町年寄役を代々務めた高橋家…
広島県呉市豊町御手洗、北前船(西廻り航路)の風待ち湊として栄え、歴史ある家並みが呉市豊町御手洗伝統的建造物群保存地区に選定される御手洗(みたらい)。なかでもひときわ江戸情緒を感じさせるのが、常盤町通り(ときわまちどおり)…
広島県呉市豊町御手洗、風待ち湊として栄えた昔町・御手洗(みたらい)。呉市豊町御手洗伝統的建造物群保存地区に指定される家並みのなか、若胡子屋跡のはす向かいに建つのが、金子邸。白壁の塀に囲まれた豪商の屋敷は、土・日曜、祝日の…
広島県呉市豊町御手洗、西廻り航路の風待ち湊として発展した大崎下島の御手洗(みたらい)。湊町で最大の遊郭だった遺構が、若胡子屋跡(わかえびすやあと)。当時の千石船(弁財船)は、一枚帆のため、風待ち、潮待ちの必要があり、船乗…
広島県呉市豊町御手洗、瀬戸内海に浮かぶ大崎下島で町並み保存地区(国の重伝建)に選定されるのが、呉市豊町御手洗伝統的建造物群保存地区(くれしゆたかまちみたらいでんとうてきけんぞうぶつぐんほぞんちく)。西廻り航路の港町として…
広島県広島市中区中島町1丁目、太田川(本川)と元安川に挟まれた中島にあるのが、平和記念公園。この一帯は、藩政時代から原爆投下までは広島市の中心的な繁華街でしたが、原爆投下により壊滅。昭和24年に公布された「広島平和記念都…
広島県広島市中区中島町1丁目、平和記念公園にあるのが、平和の灯(へいわのともしび/Peace Flame)。兵器廃絶まで燃え続ける灯を、日本全国民の平和の象徴にしたいとの願いが込めらたもの。昭和39年8月1日建立された平…
埼玉県久喜市鷲宮1丁目に鎮座する古社が、鷲宮神社(わしのみやじんじゃ)。「お酉様の本社」と称し、毎年12月の初酉の日には『大酉祭』が行なわれ(東京では11月の酉の日に行なわれています)、縁起物の熊手を売る露店が並びます。…
東京都練馬区豊玉北5丁目、西武池袋線・豊島線・西武有楽町線、都営地下鉄大江戸線練馬駅近くに鎮座するのが、練馬大鳥神社(ねりまおおとりじんじゃ)。江戸時代初期の正保年間(1645年~1648年)に、堺の大鳥大社(おおとりた…
東京都世田谷区岡本2丁目、かつては三菱財閥創業者・岩崎家の庭園として管理されていた場所が、岡本静嘉堂緑地(おかもとせいかどうりょくち)。緑地内にあるのが岩崎家廟堂で、岩崎弥之助没時に、岩崎小弥太が納骨堂として建築。ニコラ…