昌福寺(長岡国漢学校発祥之地)
新潟県長岡市四郎丸にある曹洞宗の寺が昌福寺で、山号は万融山。河井継之助が軍事総督を務めている北越戊辰戦争時、負傷者を手当てする長岡藩の病院としても利用された寺で、戦後の明治2年5月1日には、長岡藩の文武総督・小林虎三郎が…
新潟県長岡市四郎丸にある曹洞宗の寺が昌福寺で、山号は万融山。河井継之助が軍事総督を務めている北越戊辰戦争時、負傷者を手当てする長岡藩の病院としても利用された寺で、戦後の明治2年5月1日には、長岡藩の文武総督・小林虎三郎が…
新潟県長岡市街の東、悠久山公園内に鎮座するのが蒼柴神社(あおしじんじゃ)。もとは長岡城内に、「長岡藩中興の英主」とも称された、長岡藩3代藩主・牧野忠辰(まきのただとき)を祀ったのが始まり。蒼柴神社の名は忠辰の尊号、蒼柴大…
新潟県長岡市郊外、悠久山公園内・蒼柴神社(あおしじんじゃ)拝殿の裏手にあるのが、悠久山招魂社(ゆうきゅうざんしょうこんしゃ)。明治7年に造営され、幕末の北越戊辰戦争で戦死した藩士309名、後の西南戦争で戦死した旧長岡藩士…
信濃川西岸、長岡大橋のたもと近くに広がる「千秋が原ふるさとの森」。新潟県立近代美術館、産業交流会館ハイブ長岡(長岡市産業展示室)などが建ち並ぶ、広大な敷地の一角を占めるのが、長岡リリックホール。.コンサートホール、シアタ…
かつて八丁沖(八町沖)と呼ばれた広大な沼地の北西端にあたる、新潟県長岡市大黒町。ここが河井継之助率いる長岡藩軍と長州藩、薩摩藩を主力とする新政府軍の北越戊辰戦争の激戦地。現在ではその一角が大黒古戦場パーク(大黒戊辰戦跡記…
かつての長岡城(現在のJR長岡駅周辺)の北東には、東西3km、南北5kmにもおよぶ広大な沼地が広がっていました。それが八丁沖(別名「八町沖」)。現在の地名でいえば大黒、百束、四ッ屋、富島、亀貝一帯。幕末の北越戊辰戦争の激…
JR長岡駅・大手口の駅前広場に立つ「長岡城本丸跡の碑」。もともと本丸は現在の長岡駅が建つ場所にありましたが、明治元年・慶応4年(1868年)、北越戊辰戦争のため焼失し、廃城に。その後、公園にもなりましたが明治31年6月1…
JR長岡駅・大手口からのびる大手通り(国道351号)沿いの現「アオーレ長岡」の西側が、長岡城二の丸跡。この長岡城、もとは堀直竒(ほりなおより)が建設に着手。堀氏はその後、城の完成を見ずに村上藩へ移封され、代わって元和4年…
新潟県長岡市東神田にある浄土宗の寺が光輝山月照院栄涼寺。元和5年(1619年)、長岡藩に移封された牧野忠成により開かれたと伝えられますが、もとは牧野氏が三河国牛久保城主時代(牛久保城=現・愛知県豊川市牛久保)に創建された…
明治元年・慶応4年(1868年)、現在の新潟県長岡市を主戦場にした北越戊辰戦争の際、5月19日の早朝に西軍(新政府軍=薩長連合軍)が奇襲攻撃で上陸したのが、長岡城の西、信濃川右岸の中島村(現・長岡市中島1丁目)。これが西…
リゾートホテル並みの施設を誇り、全国の国立公園、国定公園の一等地に建つ公共の宿「休暇村」。瀬戸内海国立公園に指定される五色台の一等地に建つのが「休暇村讃岐五色台」です。その本館前の展望デッキや、散策路、園地が飯野山(讃岐…
信濃川右岸、新潟県長岡市渡里町にある浄土真宗本願寺派の寺が西福寺。明治元年・慶応4年(1868年)に起こった北越戊辰戦争時、5月19日の早朝に西軍(新政府軍=薩長連合軍)が信濃川を強行渡河しましたが、その際、一藩士によっ…
幕末の文政10年1月1日(1827年1月27日)、越後長岡藩の長岡城下(現・新潟県長岡市)に生まれ、その後の長岡藩を率いた河井継之助(かわいつぎのすけ)。父は120石の中級武士で、邸宅は御堀の外、神田橋門近くの現在の長岡…
五色の名の通り、色の名の付いた5峰がある香川県の景勝地、五色台。山上の展望台のうち、穴場ながら実は随一といっても過言でない展望を誇るのが、坂出市側の白峰近くにある白峰展望台。屋上からの景色も抜群の公共施設「白峰パークセン…
香川県にはため池が1万4000もありますが、代表的なため池は、大きな順に満濃太郎(満濃池)、神内次郎(神内池)、三谷三郎(三郎池)、奈良須四郎(奈良須池)と兄弟のような愛称が付いています。仲多度郡まんのう町にある湖水面積…
滋賀県大津市にある建部大社は、近江国一之宮。神社の東側で、近江国庁跡も発掘されており、一帯が律令時代(古代から中世)の近江国の中心地だったことがわかります。源頼朝が京から伊豆に流される途中で、源氏の復興を祈願し、見事に叶…
律令時代(8世紀中頃~10世紀後半)の近江国の国府は、滋賀県大津市の瀬田唐橋東1kmの丘陵上、現在の大江三丁目・大江六丁目・三大寺あたりにあったことが判明しています。現在の滋賀県庁の跡にあたる近江国庁跡の遺構が昭和38年…
滋賀県東近江市、愛知川(えちがわ)の上流部にあり、百数十の末寺を統轄する臨済宗永源寺派の総本山が永源寺。紅葉の名所として全国的に有名。南北朝時代の康安元年(1361年)、近江国の領守・佐々木氏頼(ささきうじより=六角氏頼…