八町温泉共同浴場「亀ノ湯」
奥会津・金山町の国道400号沿いにある混浴の共同湯が八町温泉共同浴場「亀ノ湯」。地元、玉梨八町温泉開発組合が管理する昔ながらのひなびた湯小屋の共同湯です。野尻川沿いに建っていますが、近くには恵比寿屋旅館、弁天橋を渡った対…
奥会津・金山町の国道400号沿いにある混浴の共同湯が八町温泉共同浴場「亀ノ湯」。地元、玉梨八町温泉開発組合が管理する昔ながらのひなびた湯小屋の共同湯です。野尻川沿いに建っていますが、近くには恵比寿屋旅館、弁天橋を渡った対…
金山町の国道400号沿いにある玉梨温泉。近代的な日帰り入浴施設の温泉保養施設せせらぎ荘もありますが、地元の人が愛用する共同湯が玉梨温泉共同浴場。無人の施設ですが、料金箱に入れるだけで、24時間入浴可能。しかも入浴料も格安…
臨済宗建長寺派の寺で、鎌倉五山(建長寺、円覚寺、寿福寺、浄智寺、浄妙寺)の第五位が浄妙寺。正式名は稲荷山浄妙廣利禅寺。文治4年(1188年)、源頼朝の忠臣として知られる足利義兼(あしかがよしかね)が栄西門下の退耕行勇(た…
横浜の馬車道にあるのが「日本最初のガス灯」記念碑と復刻されたガス灯。「横浜の父」ともいわれ、易によって運勢・吉凶などを判断する高島易断(たかしまえきだん)としても知られる高島嘉右衛門(たかしまかえもん)が、明治5年9月2…
明治10年、西郷隆盛率いる西郷軍は西南戦争田原坂(たばるざか)の戦いに敗れ、鹿児島に戻り城山にたてこもります。政府軍4万に対し、西郷軍は300人という劣勢でしたが、9月19日から9月24日未明に至るまで、西郷隆盛は現在、…
昭和52年、西郷没後100年顕彰事業として関西在住の鹿児島県出身者らが京都市の京都霊山護国神社に、新しい西郷像を建立する計画を立案。像は完成しましたが発注者の死去により計画が頓挫し、像は高岡市の倉庫に眠ることに。その像が…
昭和12年に西郷隆盛没後50年祭記念事業として城山山麓(鹿児島市立美術館前)に立てられた西郷隆盛銅像。上野公園の西郷像(明治30年・高村光雲作)が着流し姿なのに対して、こちらは陸軍特別大演習(明治6年)のときの凛々しい軍…
只見川沿いに走るJR只見線は、SLが客車や貨車を牽引した時代から鉄道ファンに人気のローカル線で、車窓風景もなかなかの絶景ですが、「乗り鉄」だけでなく、「撮り鉄」にも注目のスポットが数多い線になっています。水をたたえる只見…
JR只見線、そして只見川と並走する国道252号(沼田街道沿い)、奥会津・金山町にある道の駅が「道の駅奥会津かねやま」。JR只見線会津中川から徒歩3分と、地域の観光拠点ともなっている道の駅です。地場産品・農産物販売所と金山…
江戸時代に只見川の川床から60度の湯が自噴したのが始まりという奥会津・金山町の湯倉温泉。ナトリウム・カルシウム-塩化物・硫酸塩泉の温泉と、料理が自慢の宿が湯倉温泉にある一軒宿の「旅館鶴亀荘」。「板前主人と唎酒師(ききざけ…
大塩温泉を筆頭に名湯揃いで知られる奥会津・金山町。本名地区で国道252号(沼田街道)から只見川を渡った対岸に湧くのが湯倉温泉。板前主人と利き酒師女将のもてなしで知られる「旅館鶴亀荘」と共同浴場があるだけの温泉地ですが、ナ…
奥会津、金山町は、日本有数の豪雪地帯(特別豪雪地帯の指定を受けています)。雪深い暮らしを先祖は知恵と巧みな技で克服してきましたが、そんな暮らしの歴史を集大成したのが旧玉梨小学校民具資料館。昭和52年に廃校となった玉梨小学…
ハーベスは、埼玉県さいたま市浦和区に本社を置く自動車、電気・電子機器・光学機器などに使われる潤滑剤を製造するメーカーですが、平成16年に天然水事業部新設し「奥会津金山天然炭酸の水」の製造販売を開始。福島県金山町大塩地区の…
一帯は井戸などにも炭酸が混ざるという、「炭酸地帯」。明治初年にはその効能から薬泉と喧伝(けんでん)され、県外からも人がやって来るほどとなりました。炭酸水の井戸は、今もこんこんと湧き出すのが大塩温泉炭酸水炭酸場で、平成27…
福島県金山町のJR会津大塩駅の近くにある大塩温泉は、岩崎屋旅館と温泉民宿たつみ荘が建つ、小ぢんまりとした温泉地。平成27年8月8日にリニューアルオープンしたのが大塩温泉共同浴場です。泉質はナトリウム-塩化物・炭酸水素塩泉…
福島県金山町の町営スキー場で、「混雑とは無縁のアドベンチャーワールド」と金山町ではPR。高久原山(1004m)から派生する尾根沿いの標高775.1mのピークから北西側の斜面がスキー場。高速ペアリフトの第1リフト(全長78…
三方を海に囲まれた千葉県、銚子半島の東端・犬吠埼(いぬぼうさき)にある、高さ31.15mの西洋式灯台が犬吠埼灯台。「灯台の父」と呼ばれるブラントンの設計で明治7年11月15日の初点灯以来、太平洋を行き交う船舶の航海の安全…
現在の京都御苑・仙洞御所の東北部一帯は平安時代の摂政・太政大臣だった藤原道長(ふじわらのみちなが)の邸宅跡が土御門第跡(土御門殿跡)。道長が「この世をば我が世とぞ思ふ 望月の欠けたることのなしと思へば」で知られる有名な「…