浜松八幡宮

浜松八幡宮

創祀は仁徳天皇の御代という浜松市街にある古社で『延喜式神名帳』にある蛭田(ひるた)郷許部(こべ=現・浜松市中区小沢渡町)にあった許部神社(こべじんじゃ)がこの浜松八幡宮なのだとか。しかもこの浜松八幡宮の松が、浜松という地名の由来に。徳川家康を助けた武運長久・開運招福の神で、浜松城の鬼門鎮護の社にもなっています。

浜松城の鬼門鎮護の社は徳川家代々の祈願所

浜松八幡宮
拝殿前の御神木「雲立楠」
浜松八幡宮
家康が潜んだと伝えられる根元の洞

許部神社は、天慶元年(938年)に許部から引馬の里に遷りますが、その時、白狐が老翁の姿で松の小木を携え宮地に導き松を植えたことが「浜の松」の由来とか。
境内には「濵松名稱起源颯々之松」の碑も立っています。
颯々(ざざんざ)とは、松に吹く風の音の形容。
『曳馬拾遺』(1712年)に 颯々の松とは野口村の森をいうと記され、往時には東に100mほどの社地にも松の森があったと伝えられています。
現在の松は平成23年植栽の5代目。

社伝によれば、平安時代の後期、永承6年(1051年)、源義家(みなもとのよしいえ)が陸奥(むつ)遠征の途中に八幡神(武神)を勧請したのが武神である八幡宮の始まり。
さらに永享4年(1432年)、足利幕府6代将軍・足利義教(あしかがよしのり)は「浜の松」から富士を仰いでいます。

元亀元年(1570年)、徳川家康が浜松城に入城すると、浜松八幡宮は浜松城の鬼門鎮守の社に。

しかも元亀3年12月22日(1573年1月25日)、三方ヶ原の戦いで、武田信玄に敗れ、命からがら浜松に逃げ帰った時に、家康は拝殿前の「雲立楠」(樹齢1000年を超える楠の巨樹で静岡県の天然記念物)の洞穴に潜んだとも伝えられているのです。

以来、浜松八幡宮は徳川家代々の祈願所となっています。

摂社の東照宮は、小さな祠ながら正徳4年(1714年)の勧請。

浜松八幡宮
絵馬も家康公出世手形
浜松八幡宮
屋根にも葵の御紋が
浜松八幡宮
名称 浜松八幡宮/はままつはちまんぐう
Hamamatsu Hachimangu Shrine
所在地 静岡県浜松市中区八幡町2
関連HP 浜松八幡宮公式ホームページ
電車・バスで 遠州鉄道八幡駅から徒歩1分。または、JR浜松駅から徒歩10分
ドライブで 東名高速道路三方原スマートICから約5.8km。または、浜松ICから約7.6km
駐車場 70台/無料
問い合わせ 浜松八幡宮 TEL:053-461-3429/FAX:053-464-6335
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

取材協力/浜松市、静岡県

 

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