速谷神社
広島県廿日市市にある安芸国の二之宮が、速谷神社(はやたにじんじゃ)。平安時代編纂の『延喜式神名帳』には、名神大社(みょうじんたいしゃ)に列せられ、安芸国三社(速谷神社、厳島神社、多家神社)の筆頭として朝廷の尊崇をうけてい…
広島県廿日市市にある安芸国の二之宮が、速谷神社(はやたにじんじゃ)。平安時代編纂の『延喜式神名帳』には、名神大社(みょうじんたいしゃ)に列せられ、安芸国三社(速谷神社、厳島神社、多家神社)の筆頭として朝廷の尊崇をうけてい…
東京都台東区谷中7丁目、都立谷中霊園の一画、甲2号1側にあるのが、高橋お伝の墓。高橋お伝は、仮名垣魯文(かながきろぶん)の『高橋阿伝夜刃譚』のモデルで、明治の毒婦として世に知られています。明治9年9月9日、殺人容疑で逮捕…
東京都台東区谷中7丁目、谷中霊園・天王寺とJR日暮里駅南口を結ぶ細い階段の坂道が、紅葉坂(もみじざか)。別名、幸庵坂とも呼ばれた坂道で、幸庵坂の名の由来は不詳ですが、天王寺が紅葉の名所だったことから紅葉坂の名が生まれまし…
東京都台東区にあった京成電鉄本線の地下駅が、旧博物館動物園駅。昭和8年12月10日、京成電鉄本線の開通と同時に、動物園前停留所として開業。平成16年4月1日に廃止されていますが、その駅舎(入口部分)や地下ホームなどは現存…
東京都台東区、上野恩賜公園内にある銅像のひとつが、ボードワン博士像。幕末の慶応4年(1868年)、上野戦争(戊辰戦争)によって荒廃、明治新政府が病院建設地と決めていた上野の山を、近代的な公園にすべきと提言した長崎医学校教…
広島県廿日市市、標高693mの極楽寺山の山頂付近にあり、行基が天平3年(731年)に開山したと伝えられる古刹が、極楽寺。本堂は永禄5年(1560年)、毛利元就(もうりもとなり)が再建したもの。本尊は通常は非公開の十一面千…
広島県広島市中区、平和記念公園内にある原爆の悲惨さを後世に伝え、平和を希求するミュージアムが、広島平和記念資料館。核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現をめざして設立されたもので、「原爆資料館」との呼ばれています。
広島県廿日市市、宮島の厳島神社近くにある市営の水族館が、宮島水族館。世界遺産に登録されるエリアということで、景観に配慮した和風建築の水族館。みやじマリンが愛称で、瀬戸内海を中心に380種1万5000点の生物を展示し、本館…
広島県呉市、潮待ちや風待ちをする船で賑わい栄えた港町・御手洗(みたらい)で、昭和12年に芝居小屋として建築され、芝居の興行や昭和30年代までは映画館としても活躍したのが、乙女座。往時のままに芝居小屋として復元保存されたの…
東京都台東区、上野恩賜公園のほぼ中央に立つのが、小松宮彰仁親王像(こまつのみやあきひとしんのうぞう)。幕末の鳥羽・伏見の戦いでは征討大将軍に任命され、戊辰戦争では奥羽征討総督として指揮を執ったのが小松宮彰仁親王。明治45…
東京都台東区、上野恩賜公園のほぼ中央、小松宮彰仁親王像(まつのみやあきひとしんのうぞう)近くにあるのが、グラント将軍植樹碑。明治12年8月25日、来日中のグラント将軍が上野公園で歓迎会が開催された際、植樹したことを記念し…
東京都豊島区駒込3丁目、JR山手線・東京メトロ南北線駒込駅から徒歩数分の閑静な住宅地にある公園が、門と蔵のある広場。かつて植木職人で地主の丹羽家の邸宅跡を公園として整備したもので、公園の一画には国の登録有形文化財に指定さ…
東京都府中市本町1丁目、JRA東京競馬場近くにある天台宗の寺が、安養寺(あんようじ)。寺伝によれば貞観元年(859年)、円仁(慈覚大師)によって開山されたという古刹で、明治初年の神仏分離、廃仏毀釈までは大國魂神社(おおく…
広島県呉市、瀬戸内海に浮かぶ大崎下島のレトロな港町、御手洗(みたらい)。広島藩が文政12年(1829年)に築いた千砂子波止(ちさごはと)の付け根にあるのが、高灯籠(たかとうろう)。千砂子波止の鎮守として寄進された住吉神社…
広島県呉市、瀬戸内海に浮かぶ大崎下島のレトロな港町、御手洗(みたらい)。広島藩が文政12年(1829年)に築いた全長90mという、当時「西国無双之湊」と称された御手洗を象徴するかのような大規模な防波堤が、千砂子波止(ちさ…
広島県広島市西区、三滝山の中腹に建つ真言宗の古刹が、三滝寺(三瀧寺/みたきでら)。「三滝観音」として親しまれる寺で、寺伝によれば大同4年(809年)、空海(弘法大師)の創建。境内に三滝寺の名の由来となる駒ヶ滝、梵音の滝、…
広島県呉市、黒瀬川河口、阿賀港を眼下にする標高205mの山上に広がる大空山公園は、大空山砲台跡。日露戦争開戦の前年、明治36年、バルチック艦隊の迎撃などを想定し、築かれた砲台で上陸して背後から呉軍港を攻める敵軍から守備す…
東京都台東区谷中7丁目、都営谷中霊園に囲まれた寛永寺墓地にあるのが、徳川慶喜の墓。神式で埋葬されたため、円墳状の墓で、徳川幕府最後の将軍となった徳川慶喜とその妻・美賀子の墓が並んでいます。現在の谷中霊園一帯は江戸時代には…