深光寺(滝沢馬琴の墓)

深光寺(滝沢馬琴の墓)

東京都文京区小日向4丁目にある浄土宗の寺が深光寺(じんこうじ)。善誉上人が寛永16年(1639年)に創建。境内には曲亭馬琴(きょくていばきん)と称した『南総里見八犬伝』の作者・滝沢馬琴の墓(たきざわばきんのはか=滝沢馬琴の名は明治以降の流布)があります。

境内には曲亭馬琴(滝沢馬琴)が眠る

深光寺(滝沢馬琴の墓)

幕臣・森源七郎を開基に、善誉が開山した寺で、当初は「清水庵」と称した庵でしたが、善誉が寺に拡充。
小石川・西岸寺末寺でしたが、その後伝通院の塔頭に転じています。
昭和2年に茗荷谷の良念寺を合併。

境内に墓のある曲亭馬琴(滝沢馬琴)は、江戸時代後期の著名な戯作者で、文化11年(1814年)〜天保13年(1842年)の間、28年を費やして『南総里見八犬伝』を執筆、晩年は髪をおろして、曲亭馬琴と号しています。
文政7年(1824年)から息子の宗伯の暮らす神田明神下(現・千代田区外神田3丁目)に隠居部屋を築いて住みますが、天保6年(1835年)、宗伯が死去。
神田明神下の家を売却し、四谷信濃仲殿町(現・新宿区霞岳町)に移転しますが、天保10年(1839年)には失明し、嘉永元年(1848年)に没しています。
法名は著作堂隠誉蓑笠居士。

墓碑には、馬琴の法名「著作堂隠誉蓑笠居士」と、馬琴より先に没した妻・お百の法名「黙誉静舟到岸大姉」が刻まれ、台石には、馬琴の蔵書印といわれる家型の模様が入っています。
馬琴の墓の左後側には、晩年、失明した馬琴を助け、口述筆記で『南総里見八犬伝』を完成させた、嫁の路女(法名・操誉順節路霜大姉)の墓もあります。

本堂に向かって右にキリシタン灯籠があるのは、近くに棄教を迫られた宣教師たちが幽閉された切支丹屋敷があったことと関係しているのかもしれません。
深光寺北側にはしばられ地蔵で有名な林泉寺がありますが、江戸時代の『江戸切絵図』を見ると隣接しているので、境内地は往時にはもっと広かったことがわかります。

平成7年に始まった比較的新しい七福神、小石川七福神(深光寺・恵比寿、徳雲寺・弁財天、極楽水・弁財天、宗慶寺・寿老人、真珠院・布袋尊、福聚院・大黒天、源覚寺・毘沙門天、東京ドームシティ・福禄寿)の恵比寿神を祀っています。

深光寺(滝沢馬琴の墓)
『江戸切絵図』東都小石川絵図に記載の深光寺
深光寺(滝沢馬琴の墓)
名称 深光寺(滝沢馬琴の墓)/じんこうじ(たきざわばきんのはか)
所在地 東京都文京区小日向4-9-5
関連HP 文京区公式ホームページ
電車・バスで 東京メトロ茗荷谷駅から徒歩5分
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 文京区アカデミー推進課観光担当 TEL:03-5803-1174/FAX:03-5803-1369
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
源覚寺(こんにゃく閻魔)

源覚寺(こんにゃく閻魔)

東京都文京区小石川2丁目にある浄土宗の寺が、源覚寺。宝暦年間(1751年〜1764年)、目の悪い老婆に閻魔大王が自身の右目を与えて治療、老婆は感謝して好物の「こんにゃく」を断ち、供え続けたとされたという伝承から、「こんにゃく閻魔」と呼ばれて

林泉寺(しばられ地蔵)

林泉寺(しばられ地蔵)

東京都文京区小日向4丁目、茗荷坂近くにある曹洞宗の寺が、林泉寺(りんせんじ)。江戸時代初めの慶長7年(1602年)、伊藤半兵衛長光を開基、通山宗徹を開山として創建。境内にあるしばられ地蔵は、盗難や物を紛失した人が、願をかける際に地蔵を縄で縛

切支丹屋敷跡

切支丹屋敷跡

東京都文京区小日向1丁目にある禁教時代にキリシタンが集められた場所が、切支丹屋敷跡。正保3年(1646年)、惣目付(後の大目付)で宗門改役・井上政重(いのうえまさしげ=下総国高岡藩)の下屋敷内に牢や番所を建てたもので、屋敷というよりも収容所

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

ABOUTこの記事をかいた人。

日本全国を駆け巡るプレスマンユニオン編集部。I did it,and you can tooを合い言葉に、皆さんの代表として取材。ユーザー代表の気持ちと、記者目線での取材成果を、記事中にたっぷりと活かしています。取材先でプレスマンユニオン取材班を見かけたら、ぜひ声をかけてください!

おすすめ

よく読まれている記事

こちらもどうぞ