萩藩主毛利家墓所(大照院墓所)
山口県萩市、萩市街南郊にある臨済宗南禅寺派の寺、大照院。大照院とは萩藩(長州藩)の初代藩主・毛利秀就(もうりひでなり)の法号で、隣接地には萩藩主毛利家墓所(大照院墓所)があり、初代藩主毛利秀就のほか、2代〜12代の偶数代…
山口県萩市、萩市街南郊にある臨済宗南禅寺派の寺、大照院。大照院とは萩藩(長州藩)の初代藩主・毛利秀就(もうりひでなり)の法号で、隣接地には萩藩主毛利家墓所(大照院墓所)があり、初代藩主毛利秀就のほか、2代〜12代の偶数代…
山口県萩市、萩市街南郊にある臨済宗南禅寺派の寺、大照院。もとは天台宗の寺院で、14世紀に臨済宗へ改宗。かつては観音寺、歓喜寺とも呼ばれましたが、明暦2年(1656)年、萩藩(長州藩)2代藩主・毛利綱広が初代・毛利秀就(も…
山口県萩市堀内、堀内体育館近くにある毛利家墓所のひとつが、萩藩主毛利家墓所(旧天樹院墓所)。豊臣政権の五大老のひとり、毛利輝元とその妻・南の大方(清光院)、殉死した長井次郎左衛門が眠っています。毛利輝元の菩提寺、天樹院は…
京都府京都市下京区、浄土真宗本願寺派の本山、本願寺(西本願寺)。天正19年(1591年)、豊臣秀吉の寄進で、大坂から移転したのが、現寺地での始まり。境内の南側、北小路通に南面して建つ唐門は、書院の正門で、聚楽第、伏見城の…
神奈川県鎌倉市、鎌倉幕府を開いた源頼朝の邸宅が大蔵御所。鎌倉幕府・大蔵御所跡とされるのは、かつての相模国鎌倉大蔵郷で、現在の鎌倉市二階堂・西御門・雪ノ下3丁目一帯。治承4年(1180年)〜承久元年(1219年)の39年間…
京都府京都市北区、臨済宗大徳寺派の大本山・大徳寺の塔頭(たっちゅう)が三玄院(さんげんいん)。大徳寺本坊の西にあり、天正17年(1589年)、石田三成、浅野幸長(あさのよしなが)、森忠政(もりただまさ/森蘭丸の弟)による…
高知県高知市筆山町、筆山(ひつざん)の北麓にある土佐藩の大名墓地が土佐藩主山内家墓所。土佐藩20万石を領有した大名山内家歴代の墓所として営まれたもので、慶長10年(1605年)、高知城下屋敷で没した初代藩主・山内一豊(や…
大阪府大阪市中央区玉造にある古社が玉造稲荷神社。社伝によれば垂仁天皇が創建といい、蘇我氏と物部氏の戦いの際に、聖徳太子が観音堂を建立した地とも伝えられています。豊臣政権下では大坂城三の丸に位置し、一帯には前田利家など重臣…
山形県鶴岡市、丸岡城跡に隣接する曹洞宗の寺、天澤寺(てんたくじ)。慶長16年(1611年)、熊本城で加藤清正が没した後、11歳の若さで跡を継いだ加藤忠広は、家臣団を完全に掌握できず、出羽庄内藩主・酒井忠勝に預けられること…
柿の産地・奈良県五條市西吉野(旧・西吉野村)にある柿をテーマにしたミュージアムが柿博物館で、奈良県農業研究開発センター果樹・薬草研究センターに併設。周辺は約2000haに及ぶ広大な果樹の産地です。建物も高さ8.7m、直径…
熊本県熊本市西区にある加藤家代々の菩提寺で、加藤清正が帰依した日蓮宗の名刹が本妙寺。天正13年(1585年)、加藤清正が父・加藤清忠の菩提を弔うため、発星院日真が大坂(おおざか・現在の大阪)に建立したものを、肥後転封後、…
奈良県生駒郡斑鳩町(いかるがちょう)にある聖徳宗の寺、法輪寺。斑鳩の北の端、三井(みい)の里にある古刹で、聖徳太子の病気平癒を願い、子の山背大兄王(やましろのおおえのおう)が推古天皇30年(622年)に建立とも伝えられる…
奈良県奈良市忍辱山町(にんにくせんちょう)にある真言宗御室派の寺、円成寺(えんじょうじ)。円成寺の本堂の東側にあるふたつの小さな社が鎮守社である春日堂、白山堂。鎌倉時代初期の建築と推定され、現存する日本最古の春日造りの社…
奈良県奈良市、奈良町は中世以降発展し、近世に完成した歴史的な家並みが奈良町の町並み。和銅3年(710年)に遷都した平城京が造営されたおり、都の東に南都七大寺のひとつ元興寺(がんごうじ)の境内地として造られたのが奈良町の始…
奈良県高市郡明日香村豊浦にある丘陵が甘樫丘(あまかしのおか)。明日香のほぼ中心にある標高148mの「国見の丘」で、丘全体が国営飛鳥歴史公園甘樫丘地区になっています。北側にある甘樫丘展望台からは、西に畝傍山(うねびやま)、…
京都市東山区にある天台宗の寺、方広寺。豊臣家を滅亡へと導いた「国家安康」「君臣豊楽」の鐘が有名ですが、現在も地元で「大仏殿」と通称されるように、豊臣秀吉が建立した、大仏があった場所で、大仏殿跡には礎石なども残され、大仏殿…
京都府京都市東山区にある豊臣秀吉を祭神とする神社が豊国神社。入母屋造、檜皮葺きの唐門は、もともとは伏見城にあったものを廃城の際、二条城に、さらに以心崇伝が寛永4年(1627年)、二条城の唐門を譲り受けて金地院に。明治維新…
京都府京都市東山区、白川の清流沿い、和菓子の「餅寅」から少し入った路地裏にあるのが明智光秀首塚。明智光秀は、天正10年6月13日(1582年7月2日)、坂本城を目指して落ち延びる途中、小栗栖の竹藪(現・明智藪)で落ち武者…