出雲大神宮

出雲大神宮

京都府亀岡市にある古社で、丹波国一之宮が出雲大神宮(いずもだいじんぐう)。平安時代編纂の『延喜式神名帳』に記載の式内社で、平成21年には社殿創建1300年を迎えています。祭神は大国主神(おおくにぬしのかみ)と縁結びの神様・三穂津姫命(みほつひめのみこと)。

丹波国の一之宮は亀岡盆地の霊域に鎮座

出雲大神宮
御神体の御蔭山(みかげやま)

律令時代の丹波国(たんばのくに)の国府は桑田郡(現在の亀岡市周辺)にあったとされ(国府の遺構はまだ見つかっていません)、出雲大神宮の南には丹波国分寺跡、丹波国分尼寺跡の遺構もあり、国司が参詣するのに便利な場所に一之宮があったことがわかります。

御蔭山(みかげやま)の山麓に鎮座しますが、古代には御蔭山をご神体として崇めたことも推測できます。
現在も山中に磐座(いわくら)があり、磐座まで参道が通じていますが、磐座と、その先は禁足地(立入禁止)。
山中の磐座へ参拝する場合は、必ず社務所で受付を済ませ襷(たすき)を受け取って入山を。
本殿の裏にも磐座、古墳があり、パワースポットになっています。

最初の社殿は、和銅2年(709年)建立と伝えられ、「千年宮」とも呼ばれますが、実際には1300年年を超える歴史が。
祭神の大国主神(おおくにぬしのかみ)は出雲神で、出雲国(現・出雲大社)から勧請されたと推測できますが、社伝では出雲大神宮から出雲大社へ勧請としています(ただし、現在、出雲大社と出雲大神宮は直接的な関係はありません)。

明治4年まで出雲大社は杵築大社(きずきたいしゃ)と呼称していたのに対し、『日本紀略』の弘仁8年(818年)には「丹波国桑田郡出雲社、名神に預る」と出雲大神宮は平安時代初期には出雲社と名乗っていたことがわかります。
『徒然草』 第236段にも「丹波に出雲と云ふ処あり」と記され、中世にはすでに広く知られていました。

現存する本殿は貞和元年(1345年)頃、足利尊氏により修造されたと伝える室町時代築、中世の神社建築に多く見られる三間社流造(さんげんしゃながれづくり)、檜皮葺きで、国の重要文化財。

毎年4月18日に開催の『花鎮祭』では、日照りの地であった当地独特の雨ごい神事、出雲風流花踊(京都府の無形民俗文化財)も奉納されています。

授与品の「三大御神徳守」(さんだいごしんとくまもり)は、出雲大神宮の神徳「縁結び」、「長寿」、「金運」を祈念した御守。
参拝方式は、二拝、二拍手、一拝。
名水と名高い御神水(真名井の水)で水を汲む際には、参拝後に。

出雲大神宮
名称 出雲大神宮/いずもだいじんぐう
所在地 京都府亀岡市千歳町千歳出雲無番地
関連HP 出雲大神宮公式ホームページ
電車・バスで JR亀岡駅から亀岡ふるさとバス(京阪京都交通バス)で13分、出雲神社前下車、徒歩3分
ドライブで 京都縦貫自動車道千代川ICから約4.5km
駐車場 50台/無料
問い合わせ 出雲大神宮 TEL:0771-24-7799/FAX:0771-25-3832
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
丹波国分寺跡

丹波国分寺跡

京都府亀岡市千歳町国分にある、天平13年(741年)、聖武天皇の詔(みことのり)で諸国に建立された国分寺)(正式名は金光明四天王護国之寺)のひとつで、丹波国(たんばのくに)の国分寺の跡が丹波国分寺跡。丹波国の国府の遺構はまだ見つかっておらず

丹波国分尼寺跡(御上人林廃寺跡)

丹波国分尼寺跡(御上人林廃寺跡)

京都府亀岡市河原林町にある古代寺院の跡が御上人林廃寺跡(おしょうにんばやしはいじあと)。廃寺跡の東400mほどのところに丹波国分寺の遺構が発見され、その遺構からのものと同じ瓦が出土しているので丹波国分尼寺跡(丹波国の法華滅罪之寺跡)だと推測

 

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