地主神社

地主神社

京都府京都市東山区、清水の舞台(きよみずのぶたい)で有名な清水寺本堂の北側に鎮座するのが地主神社(じしゅじんじゃ)。清水寺の鎮守社で、良縁ならおまかせという、京都最古の縁結びの神様。清水寺の一部として世界文化遺産「古都京都の文化財」の構成資産にもなっています。

1日に出る恋占いのおみくじの数は日本一

地主神社

境内にある縄文時代から伝わる2つの守護石は、「恋占いの石」と呼ばれ、一方の石から目を閉じて歩き、もう一方の石にたどり着けば、恋が成就するとか。
室町時代の「清水寺参詣曼荼羅」(きよみずでらさんけいまんだら)にすでに桜に囲まれた地主権現社(現・地主神社)に一対の石が描かれ、さらに延宝6年(1678年)刊の「出来斎京土産」(できさいきょうみやげ)に「目をふさぎて、掘りすへたる石より石まで歩みよるに」と記されることから、京では名高い占いの石だったことがわかります。

また地主神社に「縁むすび特別祈願」をお願いすれば、神官が本人に替わって毎日祈願してくれます(1週間祈願、1ヶ月祈願、1年間祈願に分かれています)。

「縁むすび」とは、神様と縁を結び良縁を導くことなので、家庭円満、病気回復、受験合格、開運祈願など諸願成就に対応しているとのこと。


桜の名所としても知られ、春には見事な老木、地主桜が満開の花を咲かせます。
創建年代は不詳ですが、弘仁2年(811年)、嵯峨天皇の行幸の際、地主桜の美しさに三度車を返され、「御車返しの桜」と呼ばれたとも。
天正9年(1581年)には豊臣秀吉が地主神社で花見の宴を開いています。

神仏習合時代は、清水寺の鎮守社の地主権現社で、江戸時代後期の安永9年(1780年)に刊行された地誌「都名所図会」(みやこめいしょずえ)に「地主権現のやしろは大己貴命なり」と記され、桜の名所であることが詳細に解説されています。

地主神社
「都名所図会」巻三 音羽山清水寺

今では清水寺の桜が有名ですが、清水寺と一体になった神仏習合時代は「地主の桜」と呼ばれていたのです。

地主とは、仏教伝来以前の土着の神様の意。
清水寺の最初の本堂は、平安時代に建てられたと推測できますが、まさに地主神社の拝殿のような場所に建てられています。

現存する地主神社の社殿(本殿、拝殿、総門)は、寛永10年(1633年)、3代将軍・徳川家光の再建で、国の重要文化財。
現存する清水寺の本堂(舞台)も同じ寛永10年(1633年)再建なので、同時に建立されたものだとわかります。
清水寺は、世界文化遺産「古都京都の文化財」の構成資産ですが、明治の神仏分離以前は清水寺と一体化されていた地主神社(当時は地主権現社)なので、その歴史的経緯から清水寺の一部という形で、世界遺産の構成資産になっています。

毎月第1日曜14:00〜『えんむすび地主祭り』(地主神社月例祭)で、恋占いの石、願かけ絵馬のお祓い神事などが行なわれる祭典に参加すれば、「開運こづち」が授与されます。
1月1日~1月13日は、14:00〜『えんむすび初大国祭』で、厄除け開運お祓いの後と、縁結び良縁達成の祝詞(のりと)を読み上げます(祭典に参加すれば、「開運こづち」を授与)。
例大祭の『地主祭り』(神幸祭)は5月5日で、7月7日には『恋愛成就七夕祭』も斎行されています。

また、6月30日15:00〜は『夏越しの大祓祭』(茅の輪くぐり)、12月31日15:00〜は『大祓祭』で、ともに人形(ひとがた)に穢(けがれ)を託して、半年間の厄落としを祈願します。

地主神社
名称 地主神社/じしゅじんじゃ
所在地 京都府京都市東山区清水1-317
関連HP 地主神社公式ホームページ
電車・バスで JR京都駅から市バスで14分、清水道下車、清水坂を徒歩8分で仁王門、さらに徒歩5分。または、京阪本線五条駅から徒歩20分
ドライブで 名神高速道路京都東ICから約8.5km
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 地主神社 TEL:075-541-2097
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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