大池公園
愛知県東海市の市役所の北側に広がる大田大池を中心とした緑地公園が大池公園。遊戯広場、芝生広場、梅林の丘、展望台、多目的広場、竹のある丘、花しょうぶ園、展望の丘、芝生の山、彫刻の広場、池の見える丘などが整備されています。
愛知県東海市の市役所の北側に広がる大田大池を中心とした緑地公園が大池公園。遊戯広場、芝生広場、梅林の丘、展望台、多目的広場、竹のある丘、花しょうぶ園、展望の丘、芝生の山、彫刻の広場、池の見える丘などが整備されています。
愛知県東海市の聚楽園大仏の建つ一帯は、大正5年に名古屋の実業家・山田才吉が観光開発を始めた一画。当時は料理旅館などがあり、風光明媚な場所でしたが、公園の西側が臨海工業地帯になった現在では、市民の健康維持にお役立ちのトリム…
愛知県東海市の聚楽園公園(しゅうらくえんこうえん)にある大仏が聚楽園大仏。大正5年に実業家・山田才吉が聚楽園を開園し、昭和2年5月21日に聚楽園大仏の開眼供養を行なっています。当初は、白毫にサーチライトが仕込まれ伊勢湾を…
兵庫県美方郡香美町にある高野山真言宗の寺、長楽寺。奈良時代の天平年間(729年~749年)に行基によって創建された八鹿山薬師寺が前身と伝えられる古刹で、平成6年築の大仏殿には釈迦如来、薬師如来、阿弥陀如来の木造大仏3体(…
1638(天和3)年、広音和尚が開き、1692(元禄5)年、千呆和尚が黄檗宗に改宗した宇治の黄檗山萬福寺(おうばくさんまんぷくじ)の末寺が正法寺で、正式には金鳳山正法寺。境内の大仏殿に、高さ13.63mの釈迦如来坐像(岐…
805(延暦24)年、最澄(伝教大師)が唐(中国)からの帰途、兵庫の和田岬に上陸。自刻の薬師如来像を安置し、能福護国密寺を開いたのが始まりという天台宗の古刹が能福寺。寺伝によれば日本で最初の密教の教化霊場ということに。平…
ペリーの浦賀来航に伴って、江川太郎左衛門が江戸湾周辺を調査し、幕府の予算不足から品川沖のみに突貫工事で建設が始まった台場群。1854(嘉永7)年4月には第一台場〜第三台場が完成しています。12月に第五台場・第六台場が完成…
苔寺として知られる臨済宗の名刹、西芳寺。寺伝では、聖徳太子の別荘であったものを、奈良時代に行基が寺にし、その後、空海、法然などが入寺したと伝わります。当時は西方寺と称していたのだとか。世界遺産「古都京都の文化財」の構成資…
西に衣笠山、背後に左大文字山を控えた景勝の地、北山にある臨済宗相国寺派の名刹が鹿苑寺(金閣寺)。慈照寺(銀閣寺)とともに相国寺の山外塔頭のひとつで、1397(応永4)年、足利義満が営んだ山荘を寺にしたもの。世界遺産「古都…
東京都板橋区赤塚にある乗蓮寺は、徳川家康から10石の朱印地を寄進された浄土宗の寺。8代将軍・徳川吉宗は、鷹狩の際の「御小休・御膳場」に使っています。境内に鎮座する東京大仏は、東京大空襲、関東大震災などの悲惨な戦災・震災が…
京都を流れる桂川にかかる橋で嵐山のシンボル的存在。左岸と中州である中ノ島公園とを結んでいます。承和年間(834年〜848年)に僧・道昌が架橋したのが最初で、鎌倉時代に亀山上皇が月が傾いていくのを眺めて「くまなき月の渡るに…
京都、東山のふもと、熊野若王子神社(くまのにゃくおうじじんじゃ)から慈照寺(銀閣寺)に至る琵琶湖疏水(びわこそすい)沿いの約1.8kmの小道が哲学の道。哲学者・西田幾多郎が散策し、思索にふけったことからその名が付き、「日…
室町幕府8代将軍・足利義政が、祖父・足利義満の北山殿(金閣寺)にならって1482(文明14)年に建てた山荘、東山殿が前身の名刹、慈照寺(銀閣寺)。義政の死後、遺言によって臨済宗相国寺派の寺院となったもの。1489(長亭3…
大町市の郊外、通称、東山と呼ばれる北アルプスとは反対側の丘陵地に建つのが大町山岳博物館。岳都と呼ばれる大町市に、戦後間もない昭和26年にオープンした日本を代表する山岳博物館となっています。内容の充実さもありますが、その立…
1866(慶応2)年、アメリカ、イギリス、フランス、オランダと結んだ改税条約(江戸条約)によって建設を約束した8ヶ所の条約灯台のひとつで、もっとも早く完成、点灯した洋式灯台が県立観音崎公園の高台に建つ観音埼灯台。現在の灯…
醍醐山一帯に広大な敷地を占める真言宗醍醐派の総本山が醍醐寺(だいごじ)。豊臣秀吉が開いた「醍醐の花見」で有名な寺です。醍醐とは仏の悟りや教えのこと。世界遺産「古都京都の文化財」の構成資産にもなっています。上醍醐にある准胝…
横浜港郵便局は、明治4年3月1日(1871年4月20日)、開港された横浜港の横浜郵便取扱所として開設された歴史ある郵便局。明治8年1月1日に 横浜郵便局(一等)となり、為替取扱、アメリカとの外国郵便を開始した外国郵便発祥…
宇治市の世界遺産の「古都京都の文化財」にも登録される宇治上神社内にある湧水で、「宇治七名水」のひとつ。後嵯峨天皇が宇治を訪れたのを機に、宇治には茶畑が拓かれ、そのお茶を立てるのにも使われたのがこの名水。