マンガ神社
有名漫画家の輩出県というゆえんもあって高校ペン児たちが毎夏、熱戦を繰り広げる全国高等学校漫画選手権大会『まんが甲子園』も開かれている。『まんが甲子園』で優勝するための願懸けをしてもらおうと創建された神社が中土佐町のマンガ…
有名漫画家の輩出県というゆえんもあって高校ペン児たちが毎夏、熱戦を繰り広げる全国高等学校漫画選手権大会『まんが甲子園』も開かれている。『まんが甲子園』で優勝するための願懸けをしてもらおうと創建された神社が中土佐町のマンガ…
愛南町御荘平城にある平城山薬師院観自在寺(かんじざいじ)。807(大同2)年、平城天皇の勅願所として、空海が創建した真言宗大覚寺派の古刹で、本尊の薬師如来と脇仏の阿弥陀如来、十一面観音菩薩は空海の作と伝わっています。四国…
724(神亀元)年、聖武天皇の勅願で行基が薬師如来を刻んで本尊とし、堂塔を建立したのが始まりと伝えられる古刹が宿毛市の延光寺。795(延暦14)年、空海(弘法大師)が巡錫し桓武天皇の勅願所として再興、四国八十八ヶ所霊場3…
坂本龍馬は、沢村惣之丞(さわむらそうのじょう)とともに、1862(文久2)年3月24日の夜、高知城下を出奔し、翌25日に檮原(ゆすはら)に到着。翌26日早朝に檮原を出立、檮原の勤王の志士、那須俊平・信吾父子の道案内で宮野…
檮原町の三嶋神社社前の檮原川にかかる屋根付きの橋が神幸橋(みゆきばし)。三嶋神社の大祭「御神幸(おみゆき)祭り」の行列がこの橋を渡るのが名の由来です。三嶋神社参道は「坂本龍馬脱藩の道」のルートにもなっているのでぜひ歩いて…
平成7年に中世の山城跡である和田城跡に設置された龍馬、那須信吾・俊平父子ら檮原町にゆかりの勤王の志士8人を讃えた像が維新の門(維新の群像)。現在は、川西路地区構造改善センターの広場になっていますが、高台に位置しているので…
標高1336.2mの不入山(いらずやま)の東中腹、標高1037mの地点が全長196kmと四国一の長さを誇る清流、四万十川の源流点。藩政時代には土佐藩の御留山(おとめやま)として厳しく伐採が制限されていたことが名の由来とい…
標高1336.2mの不入山(いらずやま)の東中腹、標高1037m地点が四万十川の源流。源流への登山道入口(源流点登山口)の標高910m地点には、四万十川源流の碑と呼ばれる石碑が立っています。
昭和33年11月にNHK高知放送局テレビ放送開始の記念番組として『歌の広場』にペギー葉山が登場し歌い、テレビ時代の幕開けとともに日本全国に知れ渡った名曲が『南国土佐を後にして』。昭和34年にレコード化、映画化されて大ヒッ…
天保6年11月15日(1836年1月3日)、土佐藩の郷士・坂本長兵衛の次男として、高知城下本丁筋に生まれた坂本龍馬(さかもとりょうま)。19歳で剣術修行のため江戸に旅立つまで、高知城下で青春時代を過ごしています。国道33…
天平年間(729~749年)、聖武天皇の勅願で行基が開いた仁井田明神の別当寺・福円満寺が創始という古刹が四万十町役場に近い岩本寺(四国八十八ヶ所霊場第37番札所)。行基はこの地に宝福寺、長福寺など合計7ヶ寺を開いています…
土佐市の醫王山の中腹に建つ清滝寺(四国八十八ヶ所霊場第35番札所)の寺伝によれば、723(養老7)年、行基が自刻の薬師如来像を安置して堂を建て景山密院繹木寺としたのが創始という古刹。弘仁年間(810~824年)に空海(弘…
中土佐町にある四万十川本流最上流の小さな沈下橋が高樋沈下橋(たかひちんかばし)。用水路のように流れる四万十川に架かりますが、かつては川が増水すると木製は流出し、遠くまで橋を拾いに行くこともしばしばだったとか。昭和40年に…
高知県民謡の『よさこい節』に「月の名所は桂浜」と歌われた桂浜。龍頭岬(上龍頭岬)と龍王岬(下龍頭岬)の間に弓形にのびる白砂青松の美しい浜です。明治の文豪、大町桂月(おおまちけいげつ/本名:大町芳衛)は、高知の生まれで、そ…
仁淀川の本流に架かる浅尾沈下橋は、平成22年9月11日公開の映画『君が踊る、夏』(監督:香月秀之、主演:溝端淳平)、平成25年5月公開の高知を舞台とした映画『県庁おもてなし課』(監督:三宅喜重、主演:錦戸亮、堀北真希)の…
桂浜に立つ坂本龍馬像は、大正末年、龍馬の偉業を顕彰しようと地元の青年有志の発案で、昭和3年5月27日(海軍記念日)に建立されたもので、「月の名所は桂浜」と『よさこい節』に歌われた桂浜のシンボルとなっています。像の高さは5…
804(延暦23)年、遣唐使の一員として唐に渡った空海(弘法大師)は長安の青龍寺で恵果阿闍梨(けいかあじゃり)に真言密教の教えを受けます。帰国した空海は横浪半島の先端の山上(現・土佐市)に一宇を建立して不動明王を安置。そ…
種間寺(四国八十八ヶ所霊場第34番札所)は、寺伝によれば577(敏達天皇6年)、大坂の四天王寺建立のため百済王(くだらおう)が派遣した仏師や画工達が務めを終えて朝鮮半島に帰国する途中、暴風雨にあって難破し秋山の湊へ寄港。…