【知られざるニッポン】vol.52 江戸時代に大流行の宝くじ(富くじ)
江戸時代初期の寛永元年(1624年)頃、摂津・箕面の瀧安寺(現・大阪府箕面市箕面公園)が正月7日間に「富会」と称して名札を突いて3名に福運のお守りを授ける富くじを実施。これが人気となって江戸に飛び火し、幕府財政の窮乏から…
江戸時代初期の寛永元年(1624年)頃、摂津・箕面の瀧安寺(現・大阪府箕面市箕面公園)が正月7日間に「富会」と称して名札を突いて3名に福運のお守りを授ける富くじを実施。これが人気となって江戸に飛び火し、幕府財政の窮乏から…
七福神めぐりは、寺社に祀られる七福神の神々の力をもって福運を授かろうとする民衆の願い。新春に巡拝すれば「七難即滅(しちなんそくめつ)、 七福即生(しちふくそくしょう)」(難を滅ぼし福を呼ぶ)極まりなしといわれています。そ…
中世の日本を代表する建築物といえば、その筆頭が安芸の宮島(広島県廿日市市)にある厳島神社。世界文化遺産にも登録される厳島神社は、仁安3年(1168年)頃、出家後に日宋貿易の拡大を図る平清盛が現在と同様の社殿を造営したもの…
薩長同盟締結直後の慶応2年1月23日(1866年3月9日)、京・伏見の「寺田屋事件」で龍馬は負傷し、寺田屋事件でも助けられた薩摩藩の小松帯刀(こまつたてわき)、西郷吉之助(西郷隆盛)の勧めで妻・おりょう(お龍)と温泉療養…
室町時代の禅僧で水墨画でも名高い雪舟(せっしゅう)。大内氏の遣明船で明へ渡航し、帰国後、西国各地に雪舟庭園を作庭しています。現存する雪舟庭のうち、医光寺、萬福寺(以上、島根県益田市)、常栄寺(山口県山口市)、旧亀石坊庭園…
静岡市街の中心地、駿府城公園は、将軍職を徳川秀忠に譲り大御所時代の駿府城の跡だとされています。全国の大名に命じて(天下普請)築城させたのが現在の駿府城です。それは歴史的事実なのですが、駿府城の天守台跡の発掘調査で、豊臣秀…
江戸時代、徳川幕府が将軍御用の宇治茶を茶壺に入れて、大切に江戸まで運んだ行事が『お茶壺道中』、あるいは『宇治茶壺道中』です。毎年新茶の季節になると、宇治から茶葉の生育状況の報告を受け、茶壺付添人ら(8人〜14人)が茶壺と…
国産鉄砲の歴史は定かでありません。戦国時代に種子島に漂着した南蛮船(ポルトガル人)がもたらしたという鉄砲(火縄銃)。長篠の合戦で使われた鉄砲のうち、500挺は、近江国・国友(滋賀県長浜市国友町)の製造。中世に鉄砲の一大工…
野生のタンチョウ生息数が日本一なのはもちろん北海道ですが、飼育数となるとなぜか岡山県。実はそれには、国内のタンチョウ生息の歴史が秘められているのです。タンチョウは江戸時代までは日本各地で観察され、後楽園のある備前国にも飛…
「日本一早いお花見」ができるのは、沖縄県。例年、1月18日前後に、沖縄気象台は桜の開花宣言を発表しています。ただし、この桜は、本州の標本木になっているソメイヨシノではなく、琉球寒緋桜(リュウキュウカンヒザクラ)。しかも、…
毎年2月第3日曜に行なわれる秋吉台の山焼き。日本三大カルストにも数えられる日本を代表するカルスト台地の秋吉台(山口県美祢市)は、秋吉台国定公園としてその自然が厳しく保護されています。そんな秋吉台で地元の住民1000人を動…
あじさい電車でも有名な箱根登山鉄道。箱根の山を上る登山電車ですが、実はこの鉄道、粘着式鉄道(車輪とレールの間の静摩擦に頼って走行する鉄道=いわゆる普通の鉄道です)と呼ばれるのですが、粘着式鉄道として、日本で最大の勾配を登…
全国各地にある「川下り」ですが、その背景には江戸時代から明治時代の物資運搬に使われた舟運の歴史が隠されていることがほとんどです。舟運や筏流し(いかだながし)の歴史が観光客を乗せたライン下りに変身したのが、栃木県日光市の鬼…
新潟県には重要文化財が80件以上ありますが、実は国宝に指定されるのは1件。その1件が実は風変わりな形をした縄文土器だということは、あまり知られていません。実は、この火焔型土器、そのほとんどが新潟県内の縄文遺跡から出土し、…
長野県下諏訪町の諏訪湖畔に建つ下諏訪町立諏訪湖博物館・島木赤彦記念館の前には、「下駄スケート発祥の地」の石碑と下駄スケートを履いて滑る子どもたちの像が立っています。下諏訪町の諏訪大社下社秋宮横にある天然スケートリンク「秋…
故郷の鹿児島では「西郷どん」(せごどん)と親しみを込めて呼ばれる西郷隆盛。平成30年のNHK大河ドラマ「西郷どん」では「愛に溢れたリーダー」として描かれています。その西郷隆盛ですが、銅像は国内に3ヶ所、歴史的には上野恩賜…
日本各地で自生し、栽培されるニホンズイセン(Narcissus tazetta var. chinensis)。ニホンズイセンとはいうものの、実は中国から伝来したもの。それがなぜ、国内各地に自生し、はたまた日本三大水仙自…
徳川家康は、元和2年4月17日(1616年6月1日)に駿府城で没すると、密かに久能山に運ばれ、通夜も行なわれずに埋葬されています。遺言で、久能山に遺体を納め、増上寺で葬儀を行なったら、一周忌の後に日光山に小さな堂を建て、…