【知られざるニッポン】vol.49 平清盛が考えた!? 奇想天外な厳島神社の設計

厳島神社

中世の日本を代表する建築物といえば、その筆頭が安芸の宮島(広島県廿日市市)にある厳島神社。世界文化遺産にも登録される厳島神社は、仁安3年(1168年)頃、出家後に日宋貿易の拡大を図る平清盛が現在と同様の社殿を造営したもの。奇抜で大胆な設計思想は平清盛が考えたとも推測されています。その奇想天外さを紹介しましょう。

中世を代表する建築物は、平清盛の設計!?

仁安3年(1168年)、平清盛は病に倒れ、出家します。
病から回復した清盛は、福原(現在の神戸市、清盛は遷都計画を有していました)に雪見御所を建築。
雪見御所を拠点に、日宋貿易の拡大、そして瀬戸内海交通の重要拠点である宮島、厳島神社の社殿を整備するのです。
日宋貿易での莫大な収益が平氏政権を支え、承安4年(1174年)頃、「一門にあらざらん者はみな人非人なるべし」(現代語訳「平氏にあらずんば人にあらず」)という平時忠(たいらのときただ)の発言が生まれるわけです(ただし、この発言に史料的根拠はありません)。

日本で厳島神社の社殿が築かれた頃、ヨーロッパではパリのノートルダム大聖堂の工事が進んでいました(1163年着工、1225年完成)。
同時代に中世を代表する建築物がアジアとヨーロッパで築かれていたことになるのです。

鳥居が海の中にあり、社殿が浜に築かれたのは、宮島(弥山/みせん)が聖なる島だったから。
平清盛と、時の神主・佐伯景弘(さえきのかげひろ)によって整備された壮大な社殿群は、平安時代の浄土信仰に基づく極楽浄土を具現化したものと推測できます。
建築直前に佐伯景弘は宇治の平等院阿弥陀堂の秀麗な佇まいを目にし、厳島神社にも浄土信仰を取り入れたのだと推測できます(明治の神仏分離まで、厳島神社は神仏習合でした)。

平清盛が考えた!? 奇想天外な設計(1) 礎石にのせただけの社殿

社殿の土台は、満潮時には海底となる場所に置いた礎石の上に柱をのせているだけ。
礎石の上に社殿を支える108本もの柱を置き、礎石と柱で社殿や回廊を支えているのです。
つまりは建物自体の重さで建っているのです。
しかも床が大波でせり上がると、柱と擦れて波の勢いを弱め、大きな波が本殿に被害を及ぼさない仕組みになっています。
柱と礎石は固定されていないので、台風や高潮が去れば元に戻るという仕組み。

社殿の下に、重石となる石が隠され、いざというときは社殿、回廊に石を載せるということも。

平清盛が考えた!? 奇想天外な設計(2) プカプカと浮かぶ社殿

満潮の際にはこの平舞台はプカプカと浮く設計。
さらに平舞台の床板には目透し(まとおし)という7〜8mmの隙間が開けられています。
大潮、高潮などの際にこの隙間が波を逃がすことで大きな波はそのエネルギーを弱める仕組み。
さらに、大潮、高潮の際には流されないようにと、重石をするシステムにもなっています。

こうした工夫で、御神体が安置される神聖な区域である「内陣=玉殿」は過去に一度も水没しています。
もっとも危険だった永正6年(1509年)の高潮でも階段1段を残してなんとか危機を脱したのだとか。
平安時代にどうやって緻密な計算ができたのかは、今も謎に包まれています。

平清盛が考えた!? 奇想天外な設計(3) 自重で立つ大鳥居

海の上にある大鳥居も鳥居自体の重みだけで立っているのです。
大鳥居の最上部の笠木・島木(横木)のなかに実は重さ7トンもの玉石(人の頭の大きさほどもある石)を入れて重石(おもし)にして浮いてしまうのを防いでいます(清盛の創建当時は1本の巨木の横木でした)。
柱は倒壊防止のために6本あり、各柱の足元の海底の地盤は「松材の杭(くい)」を打って強化されています。
現代の海上に設置された滑走路と同じ様な建設設計が平安時代になされているのです。

鳥居の形式は「両部鳥居(りょうぶとりい)」で、密教における「金剛界」と「胎蔵界」を表したもの。
神仏習合の名残りといえるでしょう。
余談ですが、朱色の大鳥居は仏教色が強いということで明治の神仏分離令の際に、白色に塗り替えられていた時代もあるのです(鳥居に朱色を使うのは、仏教の考えから来るもので、本来の鳥居は白木を使用)。

平清盛が考えた!? 奇想天外な設計(4)108にこだわる仏教的な思想

社殿群を取り巻く床下の板の枚数は、1間(約2mから2.4m)に8枚もの板が敷かれ、床が連なる回廊は108間の長さを有しています。
回廊の屋根を支える柱の数も108本。
本社拝殿から大鳥居までは煩悩の数と同じ108間(けん)で、火焼前から大鳥居までは末広がりの88間になっています。
平清盛や配下の技術者はこの108や、88にこだわったということがよくわかります。

名称 厳島神社/いつくしまじんじゃ
場所 広島県廿日市市宮島町1-1
関連HP 厳島神社公式ホームページ
電車・バスで JR宮島口駅からJR連絡宮島航路または松大観光船で10分、宮島桟橋下船、徒歩15分
ドライブで 山陽自動車道廿日市ICから約4.7km。または、大野ICから約5kmで宮島口
駐車場 宮島口市営駐車場(166台/有料)・もみじ本舗駐車場(500台/有料)
問い合わせ 厳島神社 TEL:0829-44-2020/FAX:0829-44-0517
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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ABOUTこの記事をかいた人。

酒井正人(プレスマンユニオン理事)

ラジオ・テレビレジャー記者会会員/旅ソムリエ。 旅の手帖編集部を経て、まっぷるマガジン地域版の立ち上げ、編集。昭文社ガイドブックのシリーズ企画立案、編集を行なう。その後、ソフトバンクでウエブと連動の旅行雑誌等を制作、出版。愛知万博公式ガイドブックを制作。以降、旅のウエブ、宿泊サイトにコンテンツ提供、カーナビ、ポータルサイトなどマルチメディアの編集に移行。

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