西國寺・三重塔

西國寺・三重塔

広島県尾道市、尾道水道を眼下にする山の中腹に建つ西國寺(さいこくじ)の三重塔は、永享元年(1429年)、足利6代将軍・足利義教(あしかがよしのり)の寄進。国の重要文化財に指定されています。金堂裏にある大師堂の横からさらに参道を歩くと三重塔。石段混じりの上り道なのでのんびりと到達を。

足利6代将軍・足利義教が寄進の塔

参道を上れば美しい朱塗りの塔を間近にすることができますが、足腰に自信がない人はその美しさは金堂あたりからでも充分に堪能できます。

室町時代(1333年~1572年)の復古式建築の動きを反映した純和様で、和様と禅宗様(中国の寺院建築様式が伝来し、鎌倉時代に流行)の混交に飽き足らず、奈良時代への回帰を目指したもの。
回縁がなく、石製基壇の上に建つという珍しい三重塔です。

建立当時のものと推測される如意輪観世音菩薩像を本尊とし、極彩色の四天王(東方の持国天、南方の増長天、西方の広目天、北方の多聞天)を配しています。

足利尊氏、足利幕府と尾道の密なる関係

尾道と足利将軍家との関係は、建武の新政から南北朝動乱への過渡期にあたる建武3年(1336年)2月11日、摂津・豊島河原の戦いで新田軍に敗れた足利尊氏は、鞆津(現・広島県福山市)で光厳上皇の院宣を受け、朝敵の汚名をそそいで2月17日に尾道浦に入港。
尾道浦の豪商、道蓮(どうれん)・道性(どうしょう)一族(浄土寺本堂を建立)、そして浄土寺は足利尊氏支持を打ち出していたのです。
浄土寺観音堂で足利軍の軍議を開き、官軍として九州の菊池武敏を征討するという方針を確立したのが尾道だったのです。
その帰路、東上の途中、5月5日にも、足利尊氏は尾道水道から浄土寺に入り、浄土寺観音堂で戦勝祈願の法楽和歌の会を催しています。
その後、尾道浦は足利幕府公認の交易船団の重要な拠点となったのです。

名称 西國寺・三重塔/さいこくじ・さんじゅうのとう
所在地 広島県尾道市西久保町29-27
関連HP 西國寺公式ホームページ
電車・バスで JR尾道駅から東行きバスで5分、西國寺下下車で徒歩5分。または、ロープウェイ山ろく駅から徒歩15分
ドライブで 山陽自動車道尾道ICから約8km
駐車場 10台/無料
問い合わせ TEL:0848-37-0321/FAX:0848‐37‐0615
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
西國寺・金堂

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西國寺

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