頼山陽史跡資料館

頼山陽史跡資料館

広島県広島市中区袋町にある、頼山陽(らいさんよう)、そして儒学者を多く輩出した頼家ゆかりの資料を展示したミュージアムが頼山陽史跡資料館。江戸時代後期の儒学者で、歴史家でもある頼山陽が幼少期を過ごした旧宅を保存し、公開した資料館です。

頼山陽が『日本外史』を記した居室も復元

頼山陽史跡資料館

頼山陽史跡資料館の建つ一帯は江戸時代に杉ノ木小路と呼ばれた武家屋敷街だった地。
敷地内には国の史跡となっている頼山陽の居室が復元(被爆によって焼失したものを昭和33年に復元)されています。
この居室は、寛政12年(1800年)、当時21歳の頼山陽が広島藩から脱藩の罪によって3年間に渡り幽閉された居室で、代表作の歴史書『日本外史』の執筆に着手したのもその時です(江戸遊学後、脱藩を企て、京へ上洛し、広島へ連れ戻され廃嫡のうえ自宅へ幽閉)。

大坂生まれの頼山陽は、ここで11歳から30歳までの青少年時代を過ごし幕末志士の必読書といわれた『日本外史』はここで執筆されたと伝えられています。
展示室では、耶馬渓(やばけい=現・大分県中津市にある名勝)の奇岩・景観を水墨で描いた『耶馬渓図巻』(やばけいずかん)などの画、頼家の故郷である竹原に関した『至竹原』(たけはらにいたる)などの漢詩が展示されるほか、頼山陽の生涯、江戸時代後期〜明治時代のベストセラー歴史書『日本外史』ができるまで、頼山陽が暮らした時代の城下町広島、頼家の屋敷での暮らしぶりを詳しく紹介しています。

幕末の尊皇攘夷運動に影響を与えた文政9年(1826年)に完成した頼山陽の『日本外史』全22巻。
頼山陽の父・頼春水(らいしゅんすい)は、江戸時代に竹原塩田による製塩業、塩を北前船で北陸・庄内へ運ぶ廻船業、そして今も繁栄する酒造業で栄えた竹原(広島県竹原市)のメインストリートで代々の紺屋(こうや=染め物屋)を継いでいました。

頼春水は、安永2年(1773年)、大坂・江戸堀北(現大阪市西区)に私塾「青山社」を開いていますが、この時、頼山陽が生まれています。
頼春水の弟の頼春風(らいしゅんぷう)、頼杏坪(らいきょうへい)も儒者となり三頼と称されています。

頼家の故郷、竹原には頼惟清旧宅が現存しています。

日本外史
頼山陽『日本外史』巻一(部分)
頼山陽史跡資料館
名称 頼山陽史跡資料館/らいさんようしせきしりょうかん
所在地 広島県広島市中区袋町5-15
関連HP 頼山陽史跡資料館(広島県教育委員会)公式ホームページ
電車・バスで JR広島駅から広島電鉄紙屋町経由広島港行きで16分、袋町下車、すぐ
ドライブで 山陽自動車道広島ICから約9km
駐車場 4台/無料
問い合わせ 頼山陽史跡資料館 TEL:082-298-5051/FAX:082-298-5051
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
頼惟清旧宅

頼惟清旧宅

広島県竹原市、竹原市重要伝統的建造物群保存地区(たけはら町並み保存地区)のメインストリートである本町通沿いに建つのが頼惟清旧宅(らいただすがきゅうたく)。頼山陽(らいさんよう)の祖父、頼惟清が紺屋(こうや=染め物屋)を営んでいた家で、宝永4

 

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