笛吹桃源郷
桃の生産量日本一を誇る笛吹市は、4月ともなれば一斉に桃の花が開花し、まさに桃源郷と化します。なかでも一宮地区は御坂山系から笛吹川にかけての高台、扇状地に桃畑が広がるので、甲府盆地を隔てて雪を冠した南アルプスが眺望できます…
桃の生産量日本一を誇る笛吹市は、4月ともなれば一斉に桃の花が開花し、まさに桃源郷と化します。なかでも一宮地区は御坂山系から笛吹川にかけての高台、扇状地に桃畑が広がるので、甲府盆地を隔てて雪を冠した南アルプスが眺望できます…
昭和24年に下伊那郡山本村立山本中学校(昭和60年廃校)として建築された学校校舎が杵原学校(きねはらがっこう)。南校舎に寄棟造りの玄関ポーチがあり、新制中学校校舎として全国で初めての国の登録有形文化財に指定されています。…
『日本書紀』の神武天皇(じんむてんのう)が畝傍山(うねびやま)の東南・橿原(かしはら)の地に宮を建てられ即位の礼を行なったという記述をもとに、畝傍山の東南麓の聖地に明治23年4月2日に創建した神社が橿原神宮。神武天皇は、…
三重県桑名市にある聖徳太子開山の伝説のある古刹が大福田寺(だいふくでんじ)。天武天皇、持統天皇、さらには聖武天皇の行幸を受け、伊勢神宮の神宮寺として大神宮寺と号していたという名刹です。祀られる桑名聖天は、東京都台東区の本…
真宗大谷派の本山で東本願寺として知られているのが真宗本廟。宗祖・親鸞聖人の門弟らが遺骨を大谷(現・京都市東山山麓)から吉水(京都市円山公園付近)の北に移し、廟堂を建てたことに始まります。現在の寺地は、慶長7年(1602年…
八幡平アスピーテライン(御在所~見返り峠~ふけの湯ゲート)は例年4月中旬(4月15日前後)、そして八幡平樹海ラインは4月下旬(ゴールデンウィーク直前)に開通します。両方が開通した際には開通時には全長27kmという長さ日本…
寺伝によれば、神亀3年(726年)、加賀・白山の開山で有名な泰澄(たいちょう=奈良時代の修験道の僧)が草庵を築いたのが始まりという古刹が、三重県鈴鹿市の石薬師寺。弘仁3年(812年)空海(弘法大師)が、巨石に薬師如来を刻…
岩手山を遠くに望む岩手県八幡平市の小高い丘にどっしりと咲く一本桜。かつて為内山(いないさん)には伊那那伊澤神社が鎮座していましたが、大正8年に野駄田中に神社移設合祀の際、御神木だった桜の巨樹1本だけ残されたもの。オダギリ…
岩手県雫石町の小岩井農場の農場内にあるカメラマンに人気の一本桜。NHKの連続テレビ小説『どんど晴れ』(平成19年放送、平成27年にNHKBSプレミアムで再放送)に登場する印象的な桜(樹種はエドヒガン)で、テレビの放送とと…
『延喜式神名帳』に記され(式内社)、清和天皇の貞観9年(867年)、従五位上の神位を授けられた国幣社が飛騨一宮水無神社(ひだいちのみやみなしじんじゃ)。飛騨国の一之宮として知られ、飛騨国の総鎮守で、境内には、飛騨国中の産…
社伝によれば2400年前に創建されたと伝わる古社が埼玉県さいたま市の武蔵一宮氷川神社(むさしいちのみやひかわじんじゃ)。武蔵国(埼玉県、東京都)周辺に数多い氷川神社の総本社です。社名の氷川(ひかわ)は、出雲肥河(斐伊川)…
東京都文京区白山にある天台宗の寺、円乗寺。本堂のすぐ前にあるのが八百屋お七墓。寺伝では、天和2年12月28日(1683年1月25日)の天和の大火(大円寺の塔頭の大竜庵から出火)で焼け出され、菩提寺・円乗寺に避難したのです…
織田作之助の小説『夫婦善哉』(めおとぜんざい)の舞台としても有名な大阪・千日前、法善寺横丁のシンボル的存在の寺が法善寺。天龍山法善寺は、江戸初期に琴雲上人により山城国宇治に創建され、寛永14年(1637年)に専念上人によ…
高蔵寺(こうぞうじ)は、角田市にある真言宗智山派の寺で、会津など東北に仏教を伝えた高僧・徳一が平安時代初期の弘仁10年(819年)に創建したと伝えられる古刹です。現存する阿弥陀堂は、平安末期の治承元年(1177年)、奥州…
金沢の犀川の西岸、寺町寺院群にある雨宝院(うほういん)は、奈良時代に白山を開山したと伝えられる泰澄(たいちょう)を開祖とする密教寺院(高野山真言宗)。泉鏡花(いずみきょうか)、徳田秋声(とくだしゅうせい)と並ぶ金沢の三文…
長野県下諏訪町の諏訪湖畔に建つ下諏訪町立諏訪湖博物館・島木赤彦記念館の前には、「下駄スケート発祥の地」の石碑と下駄スケートを履いて滑る子どもたちの像が立っています。下諏訪町の諏訪大社下社秋宮横にある天然スケートリンク「秋…
千葉駅と千葉市若葉区の千城台駅(ちしろだいえき)を結ぶ千葉都市モノレール2号線。その終点駅が千城台駅。昭和63年3月28日、千葉都市モノレールとしては最初となるスポーツセンター〜千城台間の区間開業によって生まれた駅です。…
豊臣秀吉の「醍醐の花見」で知られる醍醐寺(だいごじ)の塔頭(たっちゅう)で、永久3年(1115年)、醍醐寺第14世座主勝覚(しょうがく)僧正が創建したのが現在の三宝院(当時は金剛輪院)。応仁の乱の戦火で焼失しますが、慶長…