多々羅展望台
愛媛県今治市の大三島と広島県尾道市の生口島を結ぶしまなみ海道(西瀬戸自動車道)の美しい橋、多々羅大橋。その美しく優美な姿と、多々羅海峡を眺めるベストショットポイントが「道の駅多々羅しまなみ公園」(愛媛県今治市)にある多々…
愛媛県今治市の大三島と広島県尾道市の生口島を結ぶしまなみ海道(西瀬戸自動車道)の美しい橋、多々羅大橋。その美しく優美な姿と、多々羅海峡を眺めるベストショットポイントが「道の駅多々羅しまなみ公園」(愛媛県今治市)にある多々…
鳴門海峡、下関海峡と並び「日本三大潮流」に数えられる、来島海峡(くるしまかいきょう)。来島海峡大橋の愛媛県側の起点、今治市にあるのが糸山公園で、来島村上水軍の拠点だった来島、小島、馬島(うましま)を見下ろす標高96.9m…
愛媛県今治市街の北西、来島海峡第一大橋、来島海峡第二大橋、来島海峡第三大橋という3つの橋が連続する来島海峡大橋(本州四国連絡橋の尾道・今治ルート)を北に眺める標高243.5mのピークが近見山展望台(ちかみやまてんぼうだい…
愛媛県宇和島市にある和霊神社(われいじんじゃ)は、宇和10万石の領主となった初代・伊達秀宗(だてひでむね)が家老に抜擢した、山家清兵衛(やんべせいべえ=山家公頼)が祭神の神社。承応2年(1653年)、伊達秀宗が創建したも…
愛媛県宇和島市にある擬洋風建築の博物館が宇和島市立歴史資料館。明治17年に宇和島広小路に「宇和島警察署」として建てられたもの。昭和28年には南宇和郡西海町に移築され、西海町役場となりました。庁舎新築を機に、平成4年に宇和…
愛媛県愛南町、宇和海展望タワーのある馬瀬山山頂にある第二次世界大戦中の戦闘機「紫電改」(正式名は紫電二一型)保存施設が紫電改展示館(しでんかいてんじかん)。昭和53年11月に久良湾(ひさよしわん)の長崎鼻沖40mの海底で…
愛媛県愛南町、馬瀬(ばせ)山頂の馬瀬山頂公園内にある、足摺宇和海国立公園のリアス式海岸から九州まで見渡せる回転昇降式展望タワーが宇和海展望タワー(うわかいてんぼうたわー)。展望室がゆるやかに回りながら上昇し、360度のパ…
愛媛県内子町の石畳東地区にある弓削神社参道に架かる屋根付き橋が太鼓橋。耐水性がありや腐敗に強い栗の木で造られ、杉皮葺きの屋根が付いた現在の橋は、昭和26年に架け替えたもの。弓削神社社前の弓削の池(用水池)に架かる橋で、太…
愛媛県の南端、愛南町の西海半島(にしうみはんとう)にある小さな漁村が外泊。かってはイワシ・カツオ漁で繁栄した村で、外泊集落は石垣の里として愛媛県の「文化の里」、さらには「美しい日本の歴史的風土100選」、「日本の美しいむ…
愛媛県愛南町の西海一周道路(県道34号・県道300号)途中、船越半島にある愛媛県の最南端、亜熱帯植物茂る岬が高茂岬(こうもみさき)。高さ100mほど、リアス式海岸特有の断崖となっていて、快晴の日には対岸の九州・大分県や九…
愛媛県今治市吉海町の大島の南端に位置する標高307.8mの亀老山(きろうさん)山頂にある公園が亀老山展望公園。亀老山展望台は、「瀬戸内しまなみ海道随一の絶景」との呼び声も高いスポットです。絶景だけでなく、山頂周辺は瀬戸内…
佐賀県佐賀市にある古社、與止日女神社(よどひめじんじゃ)。『肥前国風土記』によれば百済(くだら)から仏教伝来の欽明天皇(きんめいてんのう)の御代に創建されたといい、祭神は神功皇后の妹、與止日女命 (よどひめのみこと)。肥…
佐賀県武雄市、武雄温泉株式会社が経営する共同湯のひとつが蓬莱湯(ほうらいゆ)。武雄温泉には豪華な貸し切り湯の殿様湯、家老の湯があるので、一般的な公衆浴場を「大衆浴場」と呼んでいますが、この蓬莱湯もそのひとつです。
現役の温泉施設の建物としては、日本最古という歴史ある公衆浴場が佐賀県武雄市にある武雄温泉元湯。武雄温泉では国の重要文化財に指定される武雄温泉の楼門、新館が有名ですが、明治9年築の武雄温泉元湯も風情たっぷりの公衆浴場です。…
佐賀県嬉野市の名湯で、斐乃上温泉(ひのかみおんせん/島根県奥出雲町)、喜連川温泉(きつれがわおんせん/栃木県さくら市)とともに「日本三大美肌の湯」ともいわれる嬉野温泉。そんな嬉野温泉を気軽に楽しめる日帰り入浴施設が「うれ…
『肥前風土記』にその名が記された佐賀県嬉野市の嬉野温泉(うれしのおんせん)は、「日本三大美肌の湯」のひとつとしても知られていますが、嬉野茶の一大産地としても有名。霧深い山々に囲まれた盆地で水にも恵まれた土地は、お茶栽培の…
佐賀市の佐嘉神社境内にある安永元年(1772年)、佐賀藩鍋島家の始祖・鍋島直茂(なべしまなおしげ)を祀るために創建された神社が松原神社。鍋島直茂の法号(高伝寺殿日峯宗智大居士)から日峯(にっぽう)大明神(日峯宮)と称して…
佐賀県多久市にある多久聖廟(たくせいびょう)は、宝永5年(1708年)、多久鍋島家4代・多久茂文(たくしげふみ)が、儒学の祖・孔子を祀るため、邑の学問所(後の東原庠舎)に建てた孔子廟。現存する孔子廟(孔子を祀るお堂)とし…