法界寺
京都市伏見区日野にある真言宗醍醐派の古刹、法界寺(ほうかいじ)。『方丈記』で知られる鴨長明(かものちょうめい)が暮らし、親鸞が生まれた日野は、もともと日野家の領地。平安時代後期の永承6年(1051年)、公卿・日野資業(ふ…
京都市伏見区日野にある真言宗醍醐派の古刹、法界寺(ほうかいじ)。『方丈記』で知られる鴨長明(かものちょうめい)が暮らし、親鸞が生まれた日野は、もともと日野家の領地。平安時代後期の永承6年(1051年)、公卿・日野資業(ふ…
釈迦の舎利(遺骨)を収める仏塔のひとつが三重塔。仏教の世界観である涅槃の境地を象徴するストゥーパ(サンスクリット語: stūpa)に由来し、インドから中国に伝わって「卒塔婆」という字が当てられ、楼閣建築の形式が取り入れら…
滋賀県湖南市にある天台宗の古刹、善水寺。常楽寺、長寿寺とともに紅葉の見事さでも知られる湖南三山の一寺で、本堂は国宝。寺伝によれば、奈良時代の和銅年間(708年〜715年)、元明天皇が国家鎮護の道場、和銅寺として建立したの…
滋賀県湖南市石部地区にある天台宗の古刹が常楽寺。長寿寺、善水寺とともに湖南三山のひとつ。寺伝によれば、和銅年間(708年〜715年)、元明天皇の勅願で良辨(ろうべん=良弁、東大寺を開山、大仏建立)によって創建されたと伝え…
滋賀県湖南市石部地区にある天台宗の古刹、長寿寺。奈良時代の和銅年間(708年~715年)に紫香楽宮(しがらきのみや、信楽宮)の鬼門を封じるために僧・良辨(ろうべん/良弁=東大寺を開山)によって築かれたのが長寿寺で湖南三山…
長野県上田市にある古社で、信濃国総社とされるのが科野大宮社(しなのおおみやしゃ)。総社とは、律令制度の設立で国府に赴任した国司が、当初は国内の神社に巡礼していたのを簡略化するため、祭神を集めて祀った神社のこと。国司が務め…
長野県上田市にある信濃国分寺跡、信濃国分尼寺跡を整備した信濃国分寺史跡公園の中核施設が信濃国分寺資料館。国分寺、国分尼寺の遺構を埋め戻し、基壇復元方法によって造園した5.5haの史跡公園で、国分寺跡、国分尼寺跡の発掘調査…
古代に信濃国の国府があったとも推測される長野県上田市にある古代寺院跡が、信濃国分尼寺跡。仏教を国家鎮護に用いるため、聖武天皇は天平13年(741年)に諸国に国分寺、国分尼寺を建立する詔(みことのり)を発していますが、それ…
長野県上田市にある聖武天皇の詔(みことのり)で信濃国に創建された古代寺院、国分僧寺(正式名は金光明四天王護国之寺)の跡が信濃国分寺跡。仏教による国家鎮護のため、天平13年(741年)の詔で諸国に築かれた国分寺のひとつで、…
長野県小県郡青木村にある天台宗の古刹が大法寺。8世紀初頭、律令時代の始まりとともに、朝廷と東国を結ぶ令制東山道(りょうせいとうざんどう)の浦野駅(うらののうまや=現・青木村当郷の浦野駅跡公園)が近くにあったこともあり、そ…
長野県上田市、「信州の鎌倉」と呼ばれる塩田平・別所温泉にある曹洞宗の古刹が安楽寺(あんらくじ)。鎌倉時代、臨済宗の僧・樵谷惟仙(しょうこくいせん)中興で、禅寺として信州最古の寺。鎌倉時代中期にはすでに鎌倉の建長寺に相当す…
下層から地(基礎)、水(塔身)、火(笠)、風(請花)、虚空(宝珠)を意味する5層の屋根からなる五重塔。まさに仏教的な宇宙観を表すタワー(塔)で、そそり立つ姿は宇宙との交信タワーとも思われます。世界最古の木造五重塔の法隆…
西方極楽浄土(さいほうごくらくじょうど)の入口、死者の魂が赴く地とされた二上山(にじょうさん/奈良県葛城市)の山麓にある古刹、當麻寺(当麻寺/たいまでら)。中将姫(ちゅうじょうひめ)が織ったという西方極楽浄土の様子を表し…
京都府木津川市加茂町、三上山(海住山)の中腹に立つ古刹が海住山寺(かいじゅうせんじ)。天平7年(735年)、聖武天皇(しょうむてんのう)の勅願で、東大寺初代別当の良辨(ろうべん)僧正が一堂を建て、十一面観世音菩薩を安置し…
奈良県奈良市にある元興寺(がんごうじ)はかつて南都七大寺として栄えた寺。蘇我馬子(そがのうまこ)が飛鳥(あすか)に建立した日本最古の本格的仏教寺院・法興寺(現・飛鳥寺)が平城京遷都に際して平城京(奈良)に移転し、元興寺と…
奈良県御所市にある巨大な方墳が、室ネコ塚古墳(猫塚古墳)。葛城地方では最大の前方後円墳である室宮山古墳(むろみややまこふん/5世紀初頭築造、墳丘長238m)の陪塚(ばいちょう)で、室宮山古墳の周濠に外にある周堤にのるよう…
奈良県御所市にある巨大な前方後円墳が室宮山古墳(むろみややまこふん)。墳丘長も200mを超える墳丘長238mで、全国の巨大古墳TOP20にランクインしています(国内18位の巨大古墳)。5世紀初頭の築造で、周濠が築かれ、周…
大阪府南河内郡太子町で巨大な方墳が山田高塚古墳(やまだたかつかこふん)。考古学的な被葬者は定かでありませんが、宮内庁から磯長山田陵(しながのやまだのみささぎ)・竹田皇子墓(たけだのみこのはか)として第33代推古天皇・竹田…