賤機山古墳
静岡市街(静岡平野)に岬のように突き出した賤機山(しずはたやま)の南端、静岡浅間神社の境内に位置するのが賤機山古墳。標高50mほどの尾根筋に築かれた直径32m、高さ7mの円墳で、内部には巨石を組んだ横穴式の石室(せきしつ…
静岡市街(静岡平野)に岬のように突き出した賤機山(しずはたやま)の南端、静岡浅間神社の境内に位置するのが賤機山古墳。標高50mほどの尾根筋に築かれた直径32m、高さ7mの円墳で、内部には巨石を組んだ横穴式の石室(せきしつ…
明治19年3月1日に武豊〜熱田間に敷設された愛知県下最初の鉄道の起点駅が武豊停車場。明治16年8月6日に中山道沿いに鉄道を走らせるという中山道幹線(高崎〜大垣)の着工を内定し、その物資の搬入路として建設されたのが現在のJ…
明治19年、東海道本線の建設時に物資の輸送のために建設された愛知県で最初に開通した鉄道が現在のJR武豊線(たけとよせん)。旧武豊港の桟橋から熱田までの間に敷かれたのですが、現存する旧国鉄武豊港駅転車台は、昭和2年に始発駅…
六角氏の観音寺城の外港として機能した中世の琵琶湖東岸の港、常楽寺港を守る木村城主の木村氏は、もともと沙沙貴神社をルーツとする佐々木氏の一族で(沙沙貴神社の神職)、常楽寺の在地領主。その居城となったのが現在の近江八幡市安土…
聖武天皇が遷都した紫香楽宮(甲賀宮)の南1kmの地にある古代寺院の跡。当初ここが紫香楽宮跡と推測され、国の史跡「紫香楽宮跡」となりましたが、近年の発掘調査で宮町遺跡が内裏跡だと判明し、内裏野地区は、聖武天皇が盧舎那仏建立…
京に恭仁宮(くにのみや)を造営中だった聖武天皇(しょうむてんのう)が、天平14年(742年)、恭仁宮から東国行幸への道(恭仁東北道)を開き、近江国甲賀郡(現・滋賀県甲賀市)に築いた離宮。たびたびの行幸の後、3年後に皇居と…
横浜港近くにある中世鎌倉、戦国後北条、開国と文明開化などを解説する県立の博物館が神奈川県立歴史博物館。旧館部分は明治37年11月に建てられた旧横浜正金銀行本店で、ネオ・バロック様式の建物は国の重要文化財。平成30年4月に…
大井川の川止めで栄えたかつての宿場町、島田宿。江戸時代の旅人は、この「越すに越されぬ」大井川を、川越人足の助けによって渡っていました。川岸にある島田宿大井川川越遺跡には、川越えの料金を決める川会所(かわかいしょ)や、川札…
駿河湾に突き出すような半島に面した南北7kmの砂浜一帯に、美しい松林が連なる景勝地、三保松原。江戸時代、東海道を歩く人々が「あれが三保の松原か」と江尻宿あたり(東海道本線清水駅付近)から遠望したのが三保松原です。日本白砂…
島原半島南部、現在の南島原市にある原城跡は、周囲4kmの三方を有明海に囲まれ、難攻不落の天然の要塞だった原城(有馬城、日暮城)の城跡。本の丸、二の丸、三の丸、天草丸、出丸などで構成される城跡は原城跡公園として整備されてい…
近江八幡市安土町にある滋賀県最大の前方後円墳が瓢箪山古墳(ひょうたんやまこふん)。墳丘長162m、4世紀中頃の築造と推定され、滋賀県最大で最古の古墳。琵琶湖の東岸を治めた狭狭城山君(ささきやまぎみ/沙沙貴山君)の墳墓とも…
かつて琵琶湖の周辺には衛星のように四十数個の内湖がありましたが、最大の内湖が大中湖(だいなかのこ)。現存する西の湖の横にあり、戦後に干拓されて農地となりました。その大中湖の南にある縄文時代から弥生時代の農村集落跡が大中の…
織田信長の築いた安土城跡、近江源氏の佐々木氏、後に近江守護六角氏の居城となった観音寺城跡周辺に広がる歴史公園が近江風土記の丘(おうみふどきのおか)。その中心施設が滋賀県立安土城考古博物館です。第一常設展示室が考古、第二常…
織田信長が奇想天外な天守を築いた安土城は琵琶湖の東岸にそびえる安土山(現在の近江八幡市安土町)に築城されています。京上洛の要の地である近江の中心部に位置し、織田信長の掲げる「天下布武」を誇示するのに最適な場所が安土山でし…
羽柴秀吉は天正11年(1583年)1月、織田信忠の嫡男(織田信長の孫)・三法師(織田秀信)に年賀を表すべく安土城に登城し、翌2月、二の丸に太刀、烏帽子、直垂などの遺品を埋葬して織田信長の本廟を築いています。安土城二の丸…
安土城の登城ルートは往時は大手道の他に、百々橋口(どどばしぐち)、七曲り、搦手道の4本ありました。現在、七曲り、搦手道は廃道となっていますが、残る2ルートは往時のままに現存。百々橋口道は現在、入口部分のみ通行止めで、下山…
織田信長が築いた安土城(「日本100名城」選定)の天守は、信長の天下布武(てんかふぶ)の象徴だった建物で、安土城跡の本丸跡に天守台跡が残されています。天守5階は正八角形の「八角の段」となり宇宙をかたどっていました。内部に…
安土城の主郭部分に入る最初の関門が黒金門。黒金門跡には枡形虎口の石垣が現存しています。安土城の中でももっとも巨石が使われている場所で、訪れる人を圧倒しようという織田信長の意図が込められているのかもしれません。平成5年の調…