旧玉梨小学校民具資料館
奥会津、金山町は、日本有数の豪雪地帯(特別豪雪地帯の指定を受けています)。雪深い暮らしを先祖は知恵と巧みな技で克服してきましたが、そんな暮らしの歴史を集大成したのが旧玉梨小学校民具資料館。昭和52年に廃校となった玉梨小学…
奥会津、金山町は、日本有数の豪雪地帯(特別豪雪地帯の指定を受けています)。雪深い暮らしを先祖は知恵と巧みな技で克服してきましたが、そんな暮らしの歴史を集大成したのが旧玉梨小学校民具資料館。昭和52年に廃校となった玉梨小学…
横浜中華街の一画、横浜中華学院脇を通る関帝廟通り沿いに立つのが「日本における新聞誕生の地」碑。この場所で元治元年(1864年)6月28日、ジョセフ・ヒコ(ジョセフ彦=浜田彦蔵)が、外国新聞を翻訳編集し、日本初の邦字新聞『…
嘉永7年3月3日(1854年3月31日)に江戸幕府とアメリカ合衆国が横浜村(現・横浜市)の海岸近くで日米和親条約を締結しました。その歴史的な場所が、現在の大桟橋通りが海岸に出るところ、大さん橋ふ頭の付け根に園地として残さ…
日本のパン文化は、安土桃山時代にポルトガルの宣教師によって日本に伝来。だからブレッドではなく、ポルトガル語のパン(pão)に由来する言葉に。しかし、開国以降の近代では、横浜の居留地で文久元年(1861年)に「お貸長屋」(…
経済産業省の近代化産業遺産に認定される赤レンガ倉庫、50t起重機(ハンマーヘッドクレーン)のある新港ふ頭地区と、象の鼻パークを結ぶ「山下臨港線プロムナード」途中にあるかつてここを走った鉄道、臨港線(税関線)の新港橋梁。遊…
長崎市内を流れる中島川に架かる眼鏡橋は日本で初めてつくられたアーチ型石橋。唐寺である興福寺第2代目住職の黙子如定(もくすにょじょう)が、参詣者のためにと江戸時代初めの寛永11年(1634年)に架けられたといわれ、長さ23…
諫早城(いさはやじょう=高城城)の城跡を整備した長崎県諫早市の諫早公園。その園内にある眼鏡橋(めがねばし)はもともと、諫早公園のそばを流れる暴れ川・本明川に架かっていた、天保10年(1839年)架橋の石橋。橋に階段があり…
寿永2年5月11日(1183年6月2日)、木曽義仲(源義仲)率いる源氏が平維盛の平家と激突した砺波山合戦(となみやまがっせん)の古戦場が、倶利伽羅峠古戦場(くりからとうげこせんじょう=倶利伽羅県定公園)。牛500頭の角に…
応仁元年(1467年)~文明九年(1477年)の間、京を焼き尽くすほどの争乱になり、戦国時代移行の原因となった戦乱が応仁の乱。その戦火の緒戦の火蓋が切られたのが、京都市上京区の上御霊神社です。実は、当初は畠山家の家督争い…
鎌倉市長谷にある浄土宗の寺、高徳院。本尊は「鎌倉大仏」、「長谷の大仏」と通称される大仏(阿弥陀如来像)で、国宝。源頼朝が奈良大仏にならって大仏建立を発願しましたが、没後に建築が始まり、現在の大仏は建長年間の鋳造といわれて…
坂下門は江戸城西の丸造営直後に築かれた門が坂下門。江戸時代には西の丸大奥に近く、西の丸の通用門として利用されていました。現在、西の丸は皇居となっているため、宮内庁の管理で、通常は立ち入ることができません。文久2年1月15…
天平神護元年(765年)、称徳天皇の勅願により藤原仲麻呂の反乱の鎮圧を目的に、鎮護国家と平和祈願のため7尺の金銅四天王を造立したのがはじまりという奈良の古刹、西大寺。創建当時は、東の東大寺に対する西の大寺として繁栄。寺域…
元和2年12月(1617年1月)、久能山に創建された東照社(久能山東照社)。徳川家康の遺言で、久能山に埋葬され、東照大権現の神号が贈られた家康。久能山東照宮の拝殿・石の間・本殿は、創建時のもので国宝に指定されています。寛…
日本平からロープウェイで5分の久能山駅から徒歩1分の久能山山頂に鎮座するのが久能山東照宮。1616(元和2)年4月17日、75歳の徳川家康が駿府城で没した際、その遺言により、山上にあった久能城を廃城にし、2代将軍・秀忠の…
陸奥国胆沢郡胆沢(現・岩手県奥州市)に9世紀初頭に築かれた古代城柵、胆沢城。平安時代に編纂された歴史書『日本紀略』には、802(延暦21)年1月9日に坂上田村麻呂が派遣されて築城されたと記されています。789(延暦8)年…
1175(承安5)年に法然上人が吉水に設けた草庵に始まる浄土宗の総本山が知恩院。正式名は、華頂山知恩教院大谷寺。法然は自身が説いた学問や修業のない念仏仏教が信仰されるも、宗教追害にあい流刑の後、この地で入滅しています。没…
1175年(承安5年)に法然上人が設けた草庵に始まる浄土宗の総本山が知恩院。法然の像を安置する大殿(だいでん)が、御影堂(みえいどう)で、1639年(寛永16年)、3代将軍徳川家光の再建で国宝。奥行35m、間口45mの大…
知恩院の三門は、1621(元和7)年、2代将軍・徳川秀忠が再建した巨大な門。高さ24m、幅50m、屋根瓦約7万枚という現存する木造建築として最大の楼門で、国宝。空・無相・無願という、悟りに通ずる三つの解脱(げだつ)の境地…