根城
青森県八戸市街地の西端、馬淵川南岸の河岸段丘上に築かれた中世の城。後醍醐天皇の皇子・義良親王(のりよししんのう=後村上天皇)を奉じて陸奥国に下向した北畠顕家(きたばたけあきいえ)が南朝方の拠点として築城。南朝方の根本とな…
青森県八戸市街地の西端、馬淵川南岸の河岸段丘上に築かれた中世の城。後醍醐天皇の皇子・義良親王(のりよししんのう=後村上天皇)を奉じて陸奥国に下向した北畠顕家(きたばたけあきいえ)が南朝方の拠点として築城。南朝方の根本とな…
戦国の名将・上杉謙信が居城を構えた春日山。もとは越後守護・上杉氏の要害(ようがい)として南北朝時代の14世紀末に築かれ、守護代である長尾高景(ながおたかかげ)が住んだ鉢が峰城が前身。長尾為景、晴景、長尾景虎(上杉謙信)、…
新発田藩10万石の政庁となった城で、新潟県内では唯一、江戸時代の遺構が現存しています。初代の新発田藩主・溝口秀勝(みぞぐちひでかつ)が1598(慶長3)年に築城を開始、3代藩主・溝口宣直(みぞぐちのぶなお)の代の1654…
将軍家に最も近い親藩の城である甲府城で一番の高台である本丸に位置するのが天守台。天守台は台形状で、1590年代に築城された当時のままの野面積(のづらづ)みの石垣が現存しています。西側に配された階段で石垣の上に上がることも…
甲府城(舞鶴城)の北辺、稲荷曲輪(いなりくるわ)の復元櫓。稲荷曲輪御櫓(いなりくるわおんやぐら)が正式な名称で、城内の鬼門の北東に位置することから御艮櫓(おんうしとらやぐら)とも呼ばれ、藩政時代には武具蔵として使われまし…
甲斐国の府中という意味で武田信虎が居館を躑躅ヶ崎館(現在の武田神社)に移した際に甲府と名付けられましたが、現在の甲府駅近くにある甲府城は、豊臣時代に築城以降の近世の城跡。江戸時代には徳川家の西への守りとして機能しました。…
甲府城は中央本線の開通で分断されていますが、甲府駅北口部分が歴史公園として発掘保存され、山手御門が復元されています。山手御門とは、土橋を渡って最初にくぐる山手門(やまのてもん)と虎口先の山手渡櫓門(やまのてわたりやぐらも…
大正8年、武田信玄を祭神として創建された神社で甲斐の国の総鎮守。場所は武田信虎、信玄、勝頼の武田氏3代、63年間の居城だった、躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)跡。1575(天正3)年に長篠の合戦で大敗した勝頼が、館を捨て…
弘前公園(弘前城跡)にあるのが「日本最古のソメイヨシノ」。単一のクローンで、病害にも弱いというソメイヨシノは60年〜80年が寿命ですが、「日本最古のソメイヨシノ」は、明治15年に植えられたもの。脅威の長寿には、りんごで培…
天守閣、櫓(やぐら)、城門など、築城時の形態がそのまま残る弘前城の城址公園。桜の名所として有名で、4月下旬〜5月上旬に、ソメイヨシノ、枝垂桜(シダレザクラ)、カスミザクラなど80品種、5000本の桜が咲き乱れ、「日本さく…
津軽藩の2代藩主・津軽信牧(つがるのぶひら)が1611(慶長16)年に築いた城が弘前城。一帯は弘前公園として整備されゴールデンウィーク前後には5000本の桜が咲き、「日本さくら名所100選」にも選定。弘前城は全国でも珍し…
盛岡城は、鶴ヶ城(若松城)、白河小峰城と並び「東北三名城」に数えられる盛岡城の城跡を整備した公園。盛岡城は不来方城(こずかたじょう)とも呼ばれ、南部藩20万石の藩庁だった城。現在は岩手公園として整備され、「日本100名城…
千秋公園は、秋田藩20万石の藩主佐竹氏12代にわたる居城、久保田城跡に整備された公園。久保田城は本丸と二の丸の周囲に内濠を巡らせ、4棟の平屋と8棟の櫓を築いただけの城で、石垣も天守も築かれていませんでした。「日本100名…
仙台城(青葉城)は、1610(慶長15)年に伊達政宗が築城、以後270年間伊達家の居城となっていた東北の名城。将軍・徳川家康の警戒を避けるためあえて天守は設けられていませんでしたが、地形を生かした壮大な山城でした。仙台市…
宮城県多賀城市、仙台平野が一望できる丘陵の末端を利用して造られた古代の城跡で、奈良・平安時代の東北地方の政治・軍事・文化の中心地だったの多賀城跡。東北から北海道を領有していた蝦夷(えみし)を制圧するため、724(神亀元)…
山形県山形市にある山形藩の藩庁だったのが山形城。山形城の二の丸跡と三の丸跡の一部は国の史跡に指定され、本丸と二の丸跡は霞城公園として整備されています。入口の二の丸東大手門は、市制100周年記念事業の一つとして、史実に従い…
山形県鶴岡市にある鶴岡公園は鶴ヶ岡城跡に整備された公園。鶴ヶ岡城は三重に堀を巡らせた平城で、藩政時代に庄内地方を治めていた庄内藩(荘内藩)酒井家14万石の居城。明治8年に廃城となり、本丸と二の丸が鶴岡公園として整備され、…
白河の関がある白河に建つ奥州関門の名城で国の史跡。盛岡城、若松城とともに東北三名城のひとつで、豊臣時代には会津領となり、関ヶ原の合戦では上杉家の家康軍防御の拠点として機能しました。藩政時代には7家21代の居城に。一帯は城…