千葉県佐倉市にある天台宗比叡山・延暦寺の末寺が甚大寺。境内には老中・大老を務めた堀田正俊(ほったまさとし)、佐倉藩5代藩主で老中首座を務めた堀田正睦(ほったまさよし)、佐倉藩最後の藩主となった堀田正倫(ほったまさとも)の堀田家墓所があります。
佐倉で唯一の天台寺院は天海大僧正が創建
甚大寺は、もともとは出羽国・山形城下で元和元年(1615年)に天海大僧正が創建。
創建時の山形藩主・最上家親(もがみいえちか)は徳川家康の近侍(きんじ)として仕え、家康の元で元服した人物で、大坂夏の陣でも、江戸城留守居役を務める重臣でした。
元禄14年(1701年)、山形藩主・堀田正虎(ほったまさとら/堀田家3代)が再興。
その後、延亨3年(1746年)、堀田家5代・堀田正亮(ほったまさすけ/出羽山形藩3代藩主・下総佐倉藩初代藩主で老中首座)が下総佐倉に転封となり、藩主に従って佐倉城下に移転しています。
正式名は安城山不矜院甚大寺で、佐倉では唯一の天台宗寺院。
院号の不矜院(ふきょういん)は、貞享元年(1684年)に美濃青野藩主・稲葉正休に江戸城内で刺殺された堀田正俊(ほったまさとし/江戸幕府の老中・大老、戒名・不矜院殿又新叢翁大居士)の法号に由来するもの(稲葉正休は、堀田正俊の従兄弟にあたります)。
境内には堀田家6代・堀田正順(ほったまさなり)が四国から勧請した金比羅大権現があり、毎月10日に金比羅大権現の縁日が開かれています。
現在の本尊は、堀田家10代で下総佐倉藩第6代藩主・堀田正倫(ほったまさとも/最後の藩主で明治維新後は農業振興に尽力)の念持仏で鋳金工芸作家・津田信夫(つだしのぶ)作の十一面観世音菩薩。
堀田正俊の墓は、浅草の金蔵寺から昭和11年に移設されたもの。
堀田正俊・正睦・正倫の墓は千葉県の文化財に指定されるほか、日本遺産「北総四都市江戸紀行 ~江戸を感じる北総の町並み~」の構成資産にもなっています(北総四都市=佐倉、成田、佐原、銚子)。
開運招福・佐倉七福神巡り「毘沙門天」の札所にもなっています(大聖院・布袋尊と大黒天、麻賀多神社・恵比寿と福禄寿、妙隆寺・大黒天、嶺南寺・弁財天、宗円寺・寿老人、松林寺・毘沙門天、甚大寺・毘沙門天)。
佐倉七福神巡りは1月1日〜1月10日、毎月10日に行なわれています。
甚大寺(堀田家墓所) | |
名称 | 甚大寺(堀田家墓所)/じんだいじ(ほったけぼしょ) |
所在地 | 千葉県佐倉市新町78-1 |
電車・バスで | 京成本線京成佐倉駅から徒歩9分。または、JR佐倉駅から徒歩23分 |
ドライブで | 東関東自動車道佐倉ICから約5.8km |
駐車場 | 3台/無料 |
問い合わせ | 甚大寺 TEL:043-484-0003 |
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