浅間神社(流山市)

浅間神社(流山市)

千葉県流山市、富士講の盛んだった江戸時代初期に流山に創建された浅間神社(せんげんじんじゃ)。社殿の背後には溶岩で築かれた高さ6mの富士塚(人工のミニ富士)もあり、富士講の歴史を今に伝えています。鎮座する流山根郷(ながれやまねごう)は、流山の中心地。

境内に明治時代に築かれた富士塚が現存

浅間神社(流山市)
浅間神社の富士塚

祭神は、木花開耶姫命(このはさくやひめのみこと)。
富士塚には、北口一合目、二合目から九合目まで(富士吉田からの登拝道を模したもの)、実際の登山の疑似体験ができ、山頂には明治19年に配された「富士浅間大神」(ふじあさまのおおかみ)の碑が立っています。
よくみるとお中道も設けられ、小御嶽神社も鎮座。
富士浅間大神、小御嶽神社という神仏分離後の名称になっていることから、この富士塚、明治時代に築かれたものだとわかります(江戸時代の場合は通常、山頂に仙元大菩薩、小御嶽神社には、小御嶽石尊大権現・大天狗・子天狗が配されます)。

流山根郷地区は、慶応4年(1868年)に新選組と新政府軍が激突した地。
醸造家・長岡屋を本陣として、光明院、流山寺などに分宿していた近藤勇以下の新選組は、新政府軍に包囲されていますが、新政府軍の本陣が置かれたのがこの浅間神社裏手で、大砲を設置しています(その際に、富士塚はありませんでした)。

浅間神社近くには近藤勇が陣を置いた近藤勇陣屋跡もあります。
慶応4年4月3日(1868年4月25日)、近藤勇は、流山を兵火で焼かれることを懸念し政府軍に自首しています。
千葉県にある富士塚は、葛飾八幡宮(市川市)の境内社・浅間社の富士塚、五井大宮神社(市原市)、飯香岡八幡宮(市原市)が有名です。

浅間神社(流山市)
名称 浅間神社(流山市)/せんげんじんじゃ(ながれやまし)
所在地 千葉県流山市流山1-154
関連HP 流山市観光協会公式ホームページ
電車・バスで 総武流山電鉄流山駅から徒歩5分
ドライブで 常磐自動車道流山ICから約3.7km
駐車場 なし/流山市役所駐車場を利用
問い合わせ 流山市商工課 TEL:04-7150-6085
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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