観福寺・伊能忠敬の墓

観福寺・伊能忠敬の墓

千葉県香取市牧野にある寛平2年(890年)、尊海僧正が創建したと伝わる真言宗豊山派の古刹、観福寺(かんぷくじ)。境内の墓地にあるのが、日本全国を測量し、寛政12年(1800年)から17年を費やして『大日本沿海輿地全図』を完成させた伊能忠敬の墓(いのうただたかのはか)。

伊能家の菩提寺には、伊能忠敬の髪と爪を埋葬

宝暦12年(1762年)、下総国香取郡佐原村(現・香取市佐原)の造り酒屋、伊能三郎右衛門家へと婿入した伊能忠敬。
当時、佐原は、江戸と利根川河口を結ぶ舟運の中継地として、「お江戸見たけりゃ佐原へござれ 佐原本町江戸まさり」とまで唄われたほど繁栄し、その集積された文化などを背景に、天明の大飢饉後の救済など名主として活躍し、隠居後に江戸で天体観測や測量など暦学を学び、寛政12年(1800年)、子午線一度の距離測定という目的もあって、蝦夷地(北海道)測量に出立しています。

その後、第二次測量(伊豆・東日本東海岸)、第三次測量(東北日本海沿岸)、第四次測量(東海・北陸)、第五次測量(近畿・中国)、第六次測量(四国)、第七次測量(九州第一次)、第八次測量(九州第二次)、第九次測量(伊豆諸島)、第十次測量(江戸府内)と精力的に全国を測量して歩き、『大日本沿海輿地全図』として完成する前の、文政元年4月13日(1818年5月17日)に没しています。

墓所は、東京都台東区の源空寺と、香取市の観福寺の2ヶ所。
源空寺にあるのは、伊能忠敬が師である高橋至時(たかはしよしとき)の墓の傍に葬るように遺言したため。
髪と爪は伊能家の菩提寺である佐原の観福寺に埋葬されています。

観福寺・伊能忠敬の墓
名称 観福寺・伊能忠敬の墓/かんぷくじ・いのうただたかのはか
所在地 千葉県香取市牧野1752
関連HP 観福寺公式ホームページ
電車・バスで JR佐原駅からタクシーで5分
ドライブで 東関東自動車道佐原香取ICから約4.5km
駐車場 20台/無料
問い合わせ 観福寺 TEL:0478-52-2804/FAX:0478-52-9328
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
伊能忠敬旧宅

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観福寺

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