ざっと赤穂事件と呼ばれる、松之大廊下の事件発生の背景をおさらいしたところで、「現場検証」を兼ねて、江戸城松之大廊下を皮切りに、討ち入りのあった吉良邸跡、さらには主君の墓前に吉良上野介(きらこうずけのすけ)の首を献上した増上寺へと巡りましょう。
まずは東京都内のゆかりの地を巡る
まずは江戸・東京にあるゆかりの地を巡りましょう。
事件発生の江戸城松之大廊下、そして討ち入りの吉良邸跡、浅野家菩提寺で四十七士の墓のある泉岳寺は必踏のポイントです。
江戸城本丸 松之大廊下跡(皇居東御苑)
事件発生の元禄14年3月14日(1701年4月21日)当時の江戸城は、天守はなく(明暦の大火で焼失)、天守台横の本丸御殿で政務が行なわれていました。
浅野内匠頭が吉良上野介を切りつけた事件が起こったのは、3月14日の午前中、江戸城松之大廊下で。
江戸城本丸の表御殿大広間から白書院に続いていたのが有名な松之大廊下(松之廊下)。江戸城で2番目に長い廊下で、襖戸に松並木と千鳥が描かれていました。
現在は皇居東御苑に「松之大廊下跡」を示す看板が立つのみとなっています。
吉良邸跡(本所松坂町公園)
赤穂浪士が討ち入りした吉良邸があったのが、現在の東京都墨田区両国3丁目。
元禄15年12月14日(1703年1月30日)、雪がちらつくなか、赤穂四十七士が吉良邸に討ち入り。
江戸城松之大廊下の事件後、吉良上野介も呉服橋の吉良邸を召し上げられて、江戸郊外の本所松坂町に移っていました。
永代橋
1698年(元禄11)年8月、隅田川に架橋された永代橋。
本懐を遂げた赤穂浪士は、上野介の首を掲げて永代橋を渡り、泉岳寺へ向ったという逸話が残されています。
泉岳寺
徳川家康の命で創建された泉岳寺。
その普請に5大名が関わっていますが、浅野家もそのひとつ。
建築担当で、家康への配慮なのかそのまま江戸での菩提寺にしています。
松之大廊下での殺傷事件で、即日切腹を命じられた浅野内匠頭が葬られたのもこの泉岳寺です。
また、吉良邸討ち入り後、主君の菩提の前に、吉良上野介の首を献上するため、2時間歩いて、泉岳寺に到達しています。
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