10月1日は、東海道新幹線開業の日、展望の日、秀吉が開いた北野大茶会の日、都電荒川線の日、三越本店新装開店の日、小田原馬車鉄道開業の日、瀬戸電全通の日、東京瓦斯会社が創立、都民の日、印章の日、法の日、土地の日、さらにコーヒの日、お茶の日、日本酒の日、醤油の日にもなっています。
東海道新幹線開業
昭和39年10月1日、東京〜新大阪515.4km(営業キロは552.6km)に東海道新幹線開業。開業時に国鉄が投入した車両は0系。
展望の日
Ten(10)棒(1)の語呂合わせと澄み渡った秋の空で好展望が期待できるシーズンであることから全日本タワー協議会が制定。
全日本タワー協議会に加盟する全国の展望・観光タワーで様々なイベントが用意されています。
全日本タワー協議会では、全国の20タワーにおいて 「All-Japan 20タワーズ スタンプラリー」を実施しています。(写真は五稜郭タワー/函館市)
北野大茶会
天正15年10月1日(1587年11月1日)に京・北野天満宮境内で関白太政大臣・豊臣秀吉が大茶会を開催し、自らの茶道具を数寄者(愛好者)に公開。
4つの茶席には秀吉のほか千利休、津田宗及、今井宗久という当代きっての茶人3名を茶頭として迎えています。
吉野の花見(1594年)、醍醐の花見(1598年)と秀吉のビッグイベントは引き継がれていきます。
荒川線の日
昭和49年10月1日、都電で最後に残された都電27系統(三ノ輪橋〜赤羽)ならびに32系統(荒川車庫前〜早稲田)が統合され都電「荒川線」の名称がつきました。
王子電気軌道によって敷設された路線のため年配の人のなかには、いまだに「王子電車」(略称:「王電」)と呼ぶ人もいます。
平成29年4月28日から都電や沿線の魅力を国内外に広くアピールするため東京さくらトラムの愛称が付けられ、英語表記も「Arakawa Line」から「Tokyo Sakura Tram」に変更されています。
いろは坂(日光道路)開通
昭和29年10月1日、参宮有料道路(昭和28年12月1日開通)に次ぐ有料道路として、日光道路が開通。
これが現在の第1いろは坂(下り専用)です。
三越本店新装開店
大正3年10月1日、三越呉服店(現在の三越)日本橋本店にルネッサンス様式の新館が完成。
鉄筋地上5階・地下1階建てで「スエズ運河以東最大の建築」と称されました。日本初のエスカレーターが設置されました。
舞鶴鎮守府開庁
明治34年10月1日、東郷平八郎中将を初代司令長官として日本海軍の舞鶴鎮守府が開庁。
日本海側唯一の鎮守府で(他の鎮守府は横須賀、呉、佐世保)、海軍の対露戦略の拠点となりました。
旧軍港4市にある海軍関係の遺構は、日本遺産「鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴~日本近代化の躍動を体感できるまち~」になっています。
商船三井さんふらわあ誕生
令和5年10月1日、大阪・神戸と九州(別府・大分・志布志)を結ぶフェリーさんふらわあ、大洗と北海道・苫小牧を結ぶ商船三井フェリーが統合、商船三井さんふらわあが誕生しました。
小田原馬車鉄道開業
明治21年10月1日、小田原馬車鉄道の国府津〜小田原〜湯本(現・箱根湯本)間が開業。
東海道本線が御殿場駅(現・御殿場線)経由だった時代に、東海道線から箱根への輸送手段として、当初は馬車鉄道として開業しました。
明治33年3月21日に全線を電化していますが、これで京都電気鉄道、名古屋電気鉄道、大師電気鉄道に次いで日本で4番目の電鉄会社となっています。
大正9年、鉄道省熱海線開業により、国府津駅前-小田原間が廃止されています。
昭和3年に鉄道軌道は箱根登山鉄道に分離、昭和31年、路面電車廃業。
名古屋市政施行
明治22年10月1日、市制施行により名古屋市となりました。市域は現在の中区と東区を中心とする地域でした。
大潟村開村
琵琶湖に次ぐ、日本第二の湖、八郎潟(はちろうがた/秋田県)が国営干拓事業で干拓され、昭和39年10月1日に大潟村が開村しました。
瀬戸電全通
明治44年10月1日、瀬戸電気鉄道の堀川駅〜土居下駅間が開業し、「瀬戸電」が全通。
現在の名鉄瀬戸線です。
お濠電車と呼ばれていたのは、名古屋城の外堀を利用したから。
大津町駅跡には駅舎のあったお堀へと下る階段が現存しています。
大津町駅が市電の廃止によって連絡機能が失われ、地下鉄名城線の栄駅〜大曽根駅間の開業で、瀬戸電にとっては名古屋都心・栄への乗り入れが急務となりました。
栄駅〜大曽根駅間が名古屋地下鉄と競合するため、八事〜赤池間(現・地下鉄鶴舞線)の免許を名古屋市に譲渡し見返りとして、瀬戸線独自に栄への地下新線を建設する協定が締結され、現在では栄乗り入れが実現しています。
東京瓦斯会社創立
明治18年10月1日、渋沢栄一、浅野財閥の創始者・浅野総一郎らによって、東京瓦斯会社が創立。
現在の東京ガスの前身です。
日本初の常設映画館「電気館」が浅草に誕生
明治36年10月1日、日本初の常設映画館「電気館」が東京市浅草区浅草公園六区(現在の東京都台東区浅草1丁目42番4号)に誕生。
昭和51年2月29日に閉鎖。
清津峡渓谷トンネル開業
総工費20億円をかけて平成8年10月1日に清津峡渓谷トンネルが完成。
日本三大峡谷に数えられる清津峡には清津峡温泉から八木沢にぬける登山道がありましたが、落石事故で閉鎖となり、探勝用に清津峡渓谷トンネルとしてオープンしたもの。
サン・ロク・トオ(3・6・10)
昭和36年10月1日の国鉄の大規模なダイヤ改正。
「もはや戦後ではない」という昭和30年代、国鉄の「第一次5ヶ年計画」の総まとめとして行なわれたダイヤ改正で、全国的な「特急ネットワーク」が誕生しました。
ヨン・サン・トオ(4・3・10)
昭和43年10月1日のダイヤ改正で、高度成長時代に対応するため、ローカル線などの無煙化(動力近代化計画)、都市間高速列車網の整備に合わせ、特急型気動車キハ82などが投入され、大幅なダイヤ改正が行なわれました。
特急「燕」の運転開始
昭和5年10月1日、東京駅〜神戸駅間に、一等展望車を併結する特急「燕」の運転開始。
それまでの特急「富士」と比べて2時間20分短縮し、東京駅〜神戸駅間を9時間で結び、当時は「超特急」といわれました。
鳥取市政施行
明治22年10月1日、 市制施行により、邑美郡の一部から鳥取市が発足しました。
徳島市政施行
明治22年10月1日、市制施行により徳島城下を中心とした名東郡徳島町、塀裏町、中通町、通町、内魚町、八百屋町、紙屋町、西横町、寺島町、出来島町、福島本町、福島町、福島郷町、大工島村、安宅村、住吉島村、助任町、前川村、下助任村、常三島村、助任西町、東新町、西新町、富田町、桶屋町、新魚町、船場町、籃屋町、古物町、大工町、北山路町、寺町、富田浦町、二軒屋町、佐古村、佐古町、南佐古村を市域として徳島市が成立しました。
大津市政施行
明治31年10月1日、 滋賀郡大津町が市制施行して大津市となりました。昭和33年10月1日には市章を制定しています。
都民の日
明治31年10月1日、東京市は一般市となり東京市長(官選制)と府知事の役職分離。
東京府庁内に東京市役所が設置されました。この時に市会によって選ばれた市長をもつ新しい東京市が誕生したのです。
新しい東京市誕生の歴史を忘れないため、大正11年10月1日「自治記念日」に定められ、その後、自治の大切さを自覚しようという願いをこめて、昭和27年に「都民の日」となっています。
また、「都民の日」制定30周年を記念して昭和57年10月1日、新東京百景が選定されています。
印章の日
明治6年10月1日、太政官布告によって公式の書類には実印を押すように定められました。全国の社寺で印章の供養が行なわれます。
「使わなくなった印章を、全日本印章業協会の加盟店にご持参いただければ、代わりにご供養させていただきます」(全日本印章業協会)。
写真は甲州の印鑑。
法の日
昭和3年10月1日、陪審法が施行されたことを記念して法務省が制定。
土地の日
「十」と「一」を組み合わせると「土」の字になることから国土庁(現在の国土交通省)が制定。
コーヒーの日
国際コーヒー協会が定めた「コーヒー年度」の始りの日であることから全日本コーヒー協会が制定。
お茶の日
天正15年10月1日(1587年11月1日)、豊臣秀吉が北野大茶会を開催したことから、お茶の日になっています。
日本酒の日
一般に新米で酒造りを始めるのが収穫の秋10月で、「酉」の字(酒壺を表す)は十二支の10番目(10月)、かつては「酒造年度」が10月1日から始っていたことから(現在は7月1日から)全国酒造組合中央会が制定。
醤油の日
「醤」の文字に、十二支で10月を表す「酉」の字が含まれることから日本醤油協会が制定。
ネクタイの日
明治18年10月1日、小山梅吉が日本で初めてネクタイの製造を開始したことから日本ネクタイ組合連合会が制定。
メガネの日
「1001」はメガネの形になることから日本眼鏡関連団体協議会が。
デザインの日
昭和34年10月1日、デザイン奨励審議会が設置されたことから通商産業省(現在の経済産業省)が制定。
10月1日生まれの有名人は?
『サウンド・オブ・ミュージック』のジュリー・アンドリュース、タレント・うつみ宮土理、女優・小川ローザ、歌舞伎の3代目市川右之助、テニスの神和住純、タレント・原田伸郎、歌手・柏原芳恵、アナウンサーの滝川クリステル、歌手・神田沙也加ほか。
10月1日生まれの誕生花は?
菊、友禅菊
明日は何の日? 昨日は何の日?
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