第1いろは坂

第1いろは坂

栃木県日光市の日光山内と中禅寺湖の段差を克服するヘアピンカーブが連続する坂道のひとつが、第1いろは坂。第1いろは坂(6.5km)は下り専用、第2いろは坂(9.5km)は上り専用で日光山内側では馬返で分岐。もともとあった坂道は現在の第1いろは坂で、この道が中禅寺湖を結ぶ古道にあたります。

もともとの男体山登拝道に車道を開削

第1いろは坂
第1いろは坂と方等滝に続く砂防群

昭和29年10月1日、参宮有料道路(昭和28年12月1日開通)に次ぐ有料道路として開通した日光道路(国道120号の有料区間)が、現在の第1いろは坂の前身。

いろは坂の名は、対面交通の日光道路に30ヶ所ほどのカーブがあったことから名付けられたもの(第2いろは坂開通時にカーブは2ヶ所減らし、現在のカーブは「な」から「ん」まで28ヶ所)。

昭和40年10月7日に第2いろは坂が開通し、上りが第2いろは坂、下りが第1いろは坂に分離。
昭和59年10月1日に第1、第2ともに無料開放され、昭和61年には日本の道100選にも選定されています。
さらに令和2年には「日本の先駆的観光道路の記念碑となる重要な土木遺産」として、土木学会選奨土木遺産に選定。

もともとは奈良時代末の天応2年(782年)、勝道上人(しょうどうしょうにん)により男体山が開山され、その後山岳修験の地となった際に、登拝道が開削されたのが始まり。
男体山は聖なる山として、明治5年に禁が解かれるまでは女人禁制、そして牛馬禁制だったため、馬返(うまがえし)で馬を降り、女人堂から上部へは女性は立ち入ることができませんでした。

明治維新を迎えると、女人禁制は解かれ、明治6年に「金谷カテッジイン」(現・日光金谷ホテル)、がオープン。
明治20年代に中禅寺湖畔が外国の大使館の保養地として注目されるようになり、中禅寺湖畔に大使館の別荘などが建築、夏は避暑で賑わうように発展。
大正2年10月15日、日光電気軌道(路面電車)が日光停車場前(現・JR日光駅/標高533m)〜馬返(標高838m)間開通。
大正14年には、日光自動車(現・日光金谷ホテルが設立した自動車会社、14台のT型フォードを所有)が中禅寺まで車を乗り入れるための工事を行ない、幅員を3.5mまで拡幅(中禅寺湖への自動車道路として旧来の登拝道を拡幅整備)しています。

昭和初期には狭隘な砂利道ながらT型フォードなど自動車が中禅寺湖畔まで上るようになったのです。

このルートが、現在の第1いろは坂で、馬返しの先の深沢(第1いろは坂のカーブ「せ」近く)には、現在も女人堂・男体山遥拝所が建っています(日光市の文化財に指定)。
カーブ「ふ」近くには中の茶屋跡がありますが、往時には中の茶屋から下を地蔵坂、上を不動坂(不動明王が祀られることから命名)と呼び習わし、ちょうど中間点にあたります。

地蔵坂の直線区間にあり、日光いろは坂剣ヶ峰展望所は唯一の駐車展望スポットで、方等滝、般若滝を眺望します。

第1いろは坂
名称 第1いろは坂/だいいちいろはざか
所在地 栃木県日光市中宮祠
関連HP 日光市観光協会公式ホームページ
ドライブで 日光宇都宮道路清滝ICから約14km、関越自動車道沼田ICから約67kmで第1いろは坂入口
駐車場 県営華厳第2駐車場(200台/有料)
問い合わせ 日光市観光協会 TEL:0288-22-1525/FAX:0288-25-3347
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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